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⑨二回目の写真展 (2)

 そうこうしている内に写真展「小さな四季の肖像PartⅡ」の初日がやって来た。
そして夕刻のレセプションの開始時間と相成った。
 会場はギャラリーで、四方の黒壁にぐるりと作品が飾られて、中央に簡易テーブル
が設けられ、その上に数種類洋食のオードブルがバイキングスタイルで並んでいる。
 予算は、上・中・並の中を選んで、中身は確かめていなかった。プロデュース力が
特別私に備わっている訳ではないし、どちらかというと、こういうのは、ハッキリ言
って間違いなく苦手である。ギャラリーの持つマニュアルに全て任せるのであった。
 有り難い序文を頂いて出版できた御礼の気持もあって、色々と訳が余り分からない
まま、とりあえず催してみようということだった。正直言って少し後悔していた。

 開始時刻の午後6時半近くになると、人がかなり集まっていて、会場が程よく賑わ
って、各人が手渡された飲み物を持ってあちこちで既に談笑している。
 見渡すと、あまり顔見知りは居らず、はがきを作った時に仕事をしたデザイナーや、
ペンタックスの時に紹介されて名刺交換した若手カメラマンや芸術家が何人か見て取
れる。そういえば、佐々木さんが紹介してくれる人物は、若手ばかりで、いつもロビ
ーで「食えてない話」で花が咲き、佐々木さんは、何時もすこぶる上機嫌なのだった。
 誰々さんは夜中にドカチンやってて偉いとか、誰々さんは奥さんの稼ぎが良いから
羨ましいとか、私には、全く面白くない話ばかりだ。もっと良い話は無いのかと。

「藤田さん、今日はBeeBooksの人達が大勢来てくれましたよ。お陰様でこの
企画は大盛況で、注文が殺到しているんです。今20巻ですが、今年中に50巻を
超えるでしょう。プロの方も居ますから、いろいろ写真談義でもして下さい」
 近付いて耳元でそう言ったのは光村印刷の飯島さんだった。
「そういえば、秋山先生がこちらに向かってるらしいです。間に合うといいですが」
「えっ?本当ですか?僕も招待状は出しましたが、失礼だったかなと心配してました」
「そんなことない。間に合うといいな。本当に」

 すると、ギャラリーの所長がマイクを持って近付いて来た。
「えー。本日は晴天なり。あーあー。皆様、本日はお忙しい中、写真家藤田稔先生の
写真展「小さな四季の肖像・PartⅡ」のレセプションにお越しいただきまして、
誠にありがとうございます。この度は光村印刷BeeBooksに参加の皆さんにも
掛け付けて頂いたこともあり、大変賑やかな場になりました。有り難うございます」
 そう言うと一斉にパチパチと大きな拍手が自然に起きた。
「BeeBooksといえば、ご存知のとおり、秋山庄太郎先生が発起人になってお
りまして、先生が藤田さんに無償で序文を提供されたということで、かつて無いこと
に私も大変驚いているしだいです」
 そこで数人から拍手が起きて、それが全体へと大きく広がった。
「じつは先生が本日ここに来られるとおっしゃいおられまして、今こちらに向かって
いるという状況らしいです」 
 するとどこからともなく「おおーっ!」という歓声が巻き起こり一斉にざわついた。
「あまり前置きが長くなっても何ですので、ここで藤田先生の簡単な挨拶をお願いし
たいと思います。先生のお話は、後でまたゆっくり聞くことにいたします」
「それでは、先生・・」
「分かりました」
ハンドマイクを手渡されると、否応無く緊張するが、思った程ではなくて驚いた。
「本日はお忙しいところ私のような者のこのような場にお越し頂いて本当に有り難う
ございます。今日は、写真を見て目の保養をして頂きながら、美味しいものを飲んだ
り食べたりして、どうかお楽しみ下さい。写真に対する質問とかも遠慮なくして下さい」

 そして、所長から祝辞の慣用句が発せられ、気恥ずかしいことこの上なかった。
「では、乾杯の音頭をとります。藤田稔先生の前途を祝しまして・・カンパーイッ!」
 私は、形式や儀式が大の苦手な性分なのだが、実際のところいま一つ地に足が着
いていないような私の立ち位置もあるせいか、気恥ずかしいことこの上なかった。

 乾杯が終わると、人々は一斉に散らばって、テーブルのオードブルを取ったりして、
あちこちで各人様々に談笑の輪が出来る。私もペンタックスや他のギャラリーに招かれ
たことが何回かあるが、思い出しても、それと何の遜色もない雰囲気である。
 問題は、集まった人物の内容だと思うのだが、政治力の無いギャラリーと、名が
知られていない新人写真家なのだから、それに関しては期待するべくもない。
 BeeBooksの同士が大勢来てくれて、何とか形になったみたいで有り難かった。
私が彼らに近付くと、写真の話に暇が無く、質問攻めの嵐となった。
「こういうのはどうやって撮るんでしょうか。さっぱり分からない」とか、してやっ
たりである。私は、「分かってたまるものか」と思いつつも、私の撮影の奥義を話し
みると、その技術の難しさに驚いて「私には撮れません」と言わせてしまった。
 技術もさることながら、問題なのは絵心と感性なので、こればかりは伝授できない。
やはり、私には、そもそもレッスンプロは向いていないようだ。それに、「先生」と
呼ばれるほど立派ではないし、収入も無い。先生など呼ばれても、全く嬉しくない。

「先生、ここらで一度お話しください。写真について・・是非!」
と言って、所長がまたマイクを持って来た。
 そして手際よく前に演台を拵えて、そこに私を呼び寄せた。
「皆様、ご注目ください。これから藤田先生に写真のお話をしていただきます」
 すると皆が一斉にこちらを向いて、会場が静かな教室のようになった。
 私は、まるで学校の教師になったように、生徒の顔が一人一人よく見て取れる。
 すると、一番奥の方に、一人の顔見知りの男が居るではないか。それは、俄かには
信じられない人物で、私は本当に我の目を疑った。いや、間違いない。それは、ペン
タックスギャラリー副所長の保坂氏に違いなかった。
何故、彼がこんな時間にこんな所に。今頃、ベンタックスでは佐藤氏のレセプション
もたけなわの時間の筈で、彼はその担当責任者であった筈。自分でも「どうしても行け
ない」と言っていた。それなのに何故・・。
 
 「皆様、ご注目ありがとうございます。それでは僕の写真のコンセプト、ライフワークについて、お話させていただきます。テーマは自然の美しさです。そして、それを写真で表現して追求することで、その意味、つまり、人が自然を美しいと感じて感動する意味を探ることです。何故なら、それは、もしかしたら、生きる意味、生きる歓びが何かを知ることに繋がるのではないだろうかと、僕は思うわけです・・」
 人前に立ってマイクの前で何かを話す事など、今まで一度も無かった私は、最初どうなることかと思ったが、この時、何故か言葉がスラスラと出てきて、上がることも無く、思いのたけを話し切れたことに、自分自身大いに驚いたものだ。
 人は、人に伝えたい事が有ると、言葉が自然に出てくるものだ、ということだろう。
初めてラブレターを書いた時、自分の中から思わぬ言葉が溢れ出したのを思い出す。
 
「藤田先生、素晴らしいお話でした。大変有り難うございました。それにしても、先生
お話がお上手ですね。御見それしました」
「いえいえ、そんなこと。皆さんが興味を持って頂いて、耳を傾けて頂いたからですよ」
すると、誰かが大きな拍手をして、それがパチパチと大きく広がった。
 
「どうだった?」
「完璧だったぞ。なかなか話上手いじゃないか。セリフ考えて来たのか」
「いや、特に何も。コンセプトを説明しようとしただけだよ。そしたらけっこう長い話
になっちゃった。自分でも驚いてるよ」
「それは面白い。それにしても、秋山庄太郎どーなってるんだよ」
「さあ、さっき、こっちに向かってると聞いたけど、そういえば遅いな・・」
 相棒の顔は、すっかりビールで赤くなり面白い顔になっているのだが、意識はいたっ
て正常である。彼はコップ一杯で直ぐに鼻や顔が赤くなる体質で、相手が気を許すの
だろうか、それが業界の裏話など色んな話を聞き出すのに大いに役立っているようだ。
「そういえば、ペンタックスの保坂さんが居たようなんだけど・・」
「ああ、来てるよ。さっき話したわ。・・あそこに居る」
「ほんとだ。なんでこっちに居るんだよ・・」
「ほんとだ。そういえば、おかしいな。おかしい。おかしい。これはおかしい」
「ちょっと挨拶して来るわ」
私は、そう言って隅の方で一人でいる彼に近付いた。

「保坂さん。来てくれたんですか。驚きましたよ。そっちの方は終わったんですか?」
「いやいや、あっちは佐々木に任せて抜けてきました。藤田さんの方が大事ですから」
「またまた御上手なことを。佐々木さんが来たいと言ってましたが、可哀そうでは?」
「佐々木も来ますよ。あいつ何やってんだ。遅いだろそれにしても。所長も遅いな」
「え?所長さんもこっちへ?」
「そうそう。行くと言ってたんだけど、おっそいなー」
「それは有り難いですけど、そんなに無理しなくても」
彼が私と余り話をしたくない様子が見て取れて、私はまた相棒の所へ戻るのだった。

「分かったぞ。保坂がここに居る訳が。秋山庄太郎だよ。秋山庄太郎が来るからだよ」
「そうだな。俺もそれだと思った。来るという情報があっちに入ったんだなきっと」
「それで、無視できなくなったということだ」
「確めに来たのかな。本当に来るか」
「そうかな。それなら後で分かるだろ。わざわざ無理に来なくても」
「そうだよな。」
「来たら一大事だから、とりあえず来たんだろ」
「やっぱり一大事なのかな。来るという事は」
「そりゃあやっぱりそうだと思うぞ。大地震が起こるくらいの」
「そうか。何だか来るような気がしなくなってきたな。現実的に」
「来なかったらガッカリだな」
「まあ、ちょっとな・・。だけど、元々そんなこと期待なんかしてなかったんだよな」
「狸親父だぞ、あれはやっぱり。見るからにそうだろ。それにしても、お前は面白いものに関わったもんだな。あははは。狸に化かされてるんじゃないのか。あはははははは」

 私は、その時、彼が大声で笑うのが不快ではなく、同じようにつられて笑った。狸親父とはよく言った。彼には優れて直感的な洞察力があり、犬が笑うようにして吼えるのが面白かったのだ。吼える先にあるものは「曖昧」にちがいなかった。

 「はははは、面白い。本当そうだったりしてな。そうなのかもしれん。ははは」
「来なかった時の保坂の顔を見てみたいな。あははは」
「それは面白い。来ても来なくても、どっちにしても面白いな、これは」

そう言っているうちに、佐々木さんと所長が会場にやって来た。
「藤田さん、遅くなってゴメン」
「どうもどうも、大変遅くなりまして」
「いえ、いえ、お忙しいところ恐縮です」

二人は、挨拶早々保坂氏の所へ行って何か話しているが、多分その論点は、
秋山庄太郎が来たかどうかについてであろう。
「え、来てないの?これから来るということなのか?」という感じに見える。
 三人揃ってキョロキョロしている。なんだか既に間抜けに見えてしょうがない。

そして、時間が経って、ついに、それは来なかった。
「先生、間に合わなかったみたいですね。大変残念です。申し訳ありません」
 光村印刷の飯島さんが、私の耳元でそう囁いた。
「いいえ、ちょっと期待しちゃいましたが、何だかホッとしましたよ。大丈夫です」
 と言いながらも、私はじつは落胆していた。しかし、ホッとしたのも本当だった。
 もし、本当に来られていたら、私の人生は、その瞬間に大きく変動していただろうし、
それが私にとって幸いなのか、必ずしもそうとは限らないと思ったからだ。少なくとも
それは私のペースではないと思った。しかし「なるようになれ」という覚悟もしていた。

 閉会の時間になって、来客が帰ると、残ったのは私と相棒と、それからペンタックスの三人トリオだけだった。三人は並んで椅子に座ったままで、身動きが出来ない様子で、気が抜けたように、ビールのコップを手に持ったまま、ただぼんやりと佇んでいた。
「今日は、お忙しい中有り難うございました。ペンタックスの方はいいんですか?」
「ああ、あっちは写真仲間が集まって賑やかにやってるから大丈夫でしょう」
所長が力なくそう言うと、意を決したようにやっと立ち上がり
「では、そろそろお暇します。今日はどうもご馳走様でした」
そう言って、揃って会場から静々と出て行く後姿は明らかに全身から力が抜けていた。相棒にはそれがとにかく間抜けに見えたようだが、私にはそう単純に笑ってはいられない何かがそこにはあった。

 そして、その後、そこに現れたのは、余りにも意外な人物だった。
 後片付けも進んで、二人がもう帰ろうとしていた時、背の高い大柄な男が、ガランとした会場にゆっくりとした足取りで入ってきて、壁の展示作品を一とおり見て回り、おもむろに私の前に来て挨拶をした。
「藤田さん。遅くなりました。いい写真ですね」
 屈託のない笑顔でそう言う男は、誰あろう、写真家の佐藤秀明その人だった。
 私は、彼が温厚で優しい人柄と知っていたが、そのとおりの物腰と表情だった。
「ありがとうございます・・佐藤さん・・」
そう言うと、彼は言葉を遮って、強く私の手を握り握手をしてきた。
「あの、佐藤さん・・どうも・・」
 何も言うなとばかりに、その握力は力を増して無言で上下に力強く振るのであった。
私も無言で握手を返して、その力に負けないようにと握り返すのだった。
「頑張ってください」
ただ一言そう言うと、手を離し、無言で御辞儀をして会場から静かに出て行った。

「なんだったのだろう」
 私は、その突然の出来事に驚いたまま、暫くの間立ちすくむのだった。
それにしても分からなかった。何があったのか。何故彼がその時来たのだろうか。
それが全く分からない。そして、今もその真意は不明のままだ。詮索もしていない。
 しかし、その時の彼の何とも言えない優しい笑顔と、それよりも増して手の圧力の
感触というものは、私の中に今も鮮明に残っている。
 それは、年季の入ったアウトドアマンの大人の大きくて分厚い掌だった。
 そして、そこには、確かに通じる何かが二人の間には有った。
 何故かその日の夜、私は木原和人が恋しくなり、無性に会いたくて堪らなくなった。
私は東京に来て木原和人とあんな握手をする筈だった。もっと強く、もっと確かな。
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⑧二回目の写真展(1)

  名刺代わりにと急遽作った写真集は、思いもよらぬ効果を発揮して、私の写真家としてのステイタスを一気に天井にまで高めることになってしまった。
 「なってしまった」というには、それなりの理由があり、一つには、それが余りに も急激なことなので、他者の私に対する対応が混乱して、それは様々な反応が周りで起き、けっして良いことばかりではなかったからだ。
 もちろんそれは、写真集の巻頭に掲げられた「秋山庄太郎の序文」の為であることに違いなく、先ずはその御利益たるや、私の想像を遥かに超えるものだった。

 書店で写真集を見たデザイナーやアートディレクターから直接仕事の依頼が有ったり、企業カレンダーのプレゼンテーションのポートフォリオにも威力を発揮して、大手企業のそれを難無く決めたりしたものだ。その時私は、たまたま何処のエージェントにも所属していなかったので、ギャランティーを百パーセント得ることになり、とくに、カレンダーのギャラは、最初から最高ランクのものに設定されてしまった。
私は、夢見ていた前田真三のビジネスモデルのステージに、その時立たされたのだ。毎年企業カレンダーを何本も決めて、千の位の収入がある前田真三の存在は、私が写真家を志すことになったキッカケに他ならず、最良のスタートを切れた訳である。
彼の分野は風景写真が主なので、そのうち私も風景をと思っていて、大いに
夢を描いたものだが、とりあえずは「小さな自然」でカレンダーが一本でも決まれば満足だった。そして、それが二本三本と増やすことが出来ればということだった。
カレンダー1本が、周りの若手写真家の年収に匹敵して、大いに妬まれたりもした。

 佐々木さんが頻りに紹介してくれる若手カメラマン達とも疎遠になってしまった。
元来、私は、自分から積極的に交友を広める性分を持ち合わせていないので、それはしかたのない成り行きだったかも知れない。
  また、その時私は、実際のところ、何故か自分のステイタスが確立したという実感がどうしても掴み切れずにいたのも確かで、私の素性も曖昧なものになっていた。

「藤田さんは天狗になっている」という声も聞こえて来て心が痛んだ。 私は、最初からレッスンプロの仕事を断っていて、そのことが余計にそのような噂を助長したのはたしかであろう。
 私が断るその理由を説明してあったので、一定の理解をしてもらえていると思ったら、そうでもなかったということなのだろう。
 佐々木さんは、「分かった」と言ってくれて、充分に理解し、私のポリシーを尊重してくれていると、私は思っていたのだ。
 そのような仕事が有ることは、私も知っていて、それを主としているカメラマンが
大勢居ることも知っている。しかし、やはり、その時の私には目指す所が別にあり、その途上なのである。アマチュアの指導をしているような場合ではないのであった。
 とにかく、私は、自分が一人前になる前に「先生」と呼ばれることを、どうしても受け容れることが出来ないのであった。
私には未だ未だ撮らねばならない花や風景があるし、作品の完成度も未だ未だ高めなければならないのである。それはそれは「一人前」に程遠いのであった。
 芸術としての写真を、絵画と同じ土俵に引き上げなければと、真剣に考えていた。

 そして、もう一つは、その序文の効果のために、写真そのものの評価というものが一体どのようなものなのかが曖昧で、私にはいまいち分からない点が残ったからだ。
 この有り難い序文を頂いたことが、即ち写真の評価に他ならず、少なくとも、私は「秋山庄太郎に認められた新人写真作家」という肩書を得たことになる。
 贅沢な話かもしれないが、厳密には、いまひとつ私には物足りない感があり、たとえば、仮にこの序文が無かったら一体どうなっていただろうかと、考える訳である。
カレンダーは決まっただろうか、仕事の依頼が降ってきたか、疑問であった。最初に考えたとおり「序文は要らない」というのが、もしかしたら正解だったのかもしれないと、私は、本気で思うのであった。

 そういえば、この御利益付き写真集が出たことで、周りの反応の混乱ぶりの一例に面白いエピソードが一つある。
 それは、初めての写真集の出版を機に二回目の写真展を急遽開いた時の事だ。 

「佐々木さん、この写真集の出版を機に写真展を開きたいんですが、どうですか?」
「うちで、ということ?」
「もちろんそうですよ、出来ますかね?」
「それは出来ると思うけど、1年はキッチリと埋まっちゃってるからなあ・・」
「そうですか、それでは間に合わないですね。どうしようもないですか?」
「ちょっと調整とかできるか、一度考えてみるよ」
「写真集が急に出来ちゃったもので、急な思い付きだし、すみません」

 しかし、調整は叶わずに、その代わりに直ぐにでも出来るギャラリーを佐々木さんが紹介してくれて、正直、仕方なく其処で開かせて頂くことにした。
 場所は、渋谷のドイフォトプラザで、当時中堅のフォトギャラリーである。タイトルは、「小さな四季の肖像・PartⅡ」とし、写真集の出版記念が趣旨の、新作の発表である。そして、初めての試みとして、レセプションなるものを催すことにした
のであった。
 そして準備は素早く整って、写真展の案内はがきとレセプションの招待状が出来上ってきた。案内状の宛先はペンタックスの時と同じで、ギャラリーが、決まった業界や個人に一律一斉に送達してくれる。問題はレセプションであった。

「何人ほどの規模にしましょうか?立食パーティーになりますから、食材の手配をしないといけませんので、ある程度の予測が必要なんです」
 ギャラリーの所長さんが私に問いかけてきた。
「じつは全く分からないんです。何処へ出したらいいのかも。初めてなんで、どういう
ものになるのかさえ、本当に分からない。有名人とそうでない人では違うだろうし」「うちの場合、時々は有名作家の大きな催しもやりますが、殆んどは小規模で、皆さん身内や知人、仲間で和気藹々のパーティーになっていますね」
「ご存知のとおり、僕は未だプロとしてスタートしたばかりで、この世界に名前も出てないし、業界に特別親しい人も出来ちゃいない。写真家協会にも未だ入ってないし、
エージェントやライブラリーにも預けたり付き合いもない。それに、身内や知人、友人なんかも、東京には皆無と言っていい状況なんです」

 こういう場合にも、やっぱりマネージャーなんかが付いたりしていたら楽なんだなあと、その時思ったが、この業界では写真家をマネジメントするような会社も個人も皆無というのが現在の紛れもない実情である。まさかと思ったが、本当であったのだ。
 そういえば、私の最初の個展の時、次の写真展の写真家が、母国で売り出し中の韓国人で、彼にはしっかりとマネージャーが付き添っていた。
 打合せのために私の個展中に彼がペンタックスフォーラムを訪れた時に、ロビーで少し話をすることができた。佐々木さんが、双方を丁寧に紹介してくれるのだった。
 彼はコマーシャル畑のファッションカメラマンらしく、自然風景を取り入れた独自の作風を誇っているようだ。白い羽衣を纏った女性が自然の中で色々なポーズをして、民族色が色濃く出ている。非常に清潔で正統派の写真家であるようだ。

「この写真、素晴らしいですね。韓国ではこんな自然写真は一枚もありません。貴方が韓国に来たら直ぐにトップになりますよ。間違いありません」
「そうだ。藤田さん。韓国で一旗上げますか。これはいいかもしれないなっ!」
 佐々木さんが冗談めかしてそう言った。
 私は全く面白くなかったが、笑って返した。
「ははは、それはいい。だけど、何故かちっとも笑えないんだなこれが」
「まあまあ、冗談冗談。ジョークジョーク。ゴメンゴメン」
 佐々木さんは、しきりに真顔で謝るが、そのリアクションに私は戸惑うのであった。ボケに対するツッコミの筈なのだが、聊かヘビーだったようだ。
 それ以来「藤田さんには下手な事を言えない」という定評が付いたかもしれない。私も実際「変な事は言うんじゃないぞ」という雰囲気を、時に醸し出していたようだ。

 彼は、この世界で最初の私の理解者であることに違いはなく、このような個展を開いて正式にプロデビュー出来たのも彼のお陰だ。写真展は、レセプションこそ無かったが、期間中には大勢の関係者の来場があり私の名刺入れが満タンにもなった。

「暫くは僕に任せておいて下さい。頼りないけど、色々とお手伝いしますから」
 いちばん最初に、そう言ってニッコリと屈託なく笑う佐々木さんだった。
 私は「いい人」だなと思った。もしかしたら東京で最初の友人なのかと思った。
しかし、現実の社会では、「いい人」というのは「頼りない人」と同意語であった。
彼の場合も、どうやらその例外ではかかったようだ。 
 満を持して紹介された仕事相手の甥子のところ(GIP)が、一年で売上ゼロという結果になり、私が愛想をつかして解約しことで、三人の関係がおかしくなってしまうのであった。それ以来佐々木さんは私に少し冷たくなって、その笑顔も以前と違った。
 同級の友が東京に出来て、仕事も上手く行くという甘い夢は、儚く消えてしまった。

「そうですか。有り難うございます。でも、これは日本にも中々無い写真ですから」
「そうそう。彼は日本で有望な新人なんですよ」
佐々木さんが、すかさずそう言って私をフォローしてくれた。しかし、ジョークの時と同じ口調と笑顔なので、今一信憑性に欠けていることを否めない。

「素晴らしい。貴方は日本で必ずトップになります。私が保証いたします」
 片言の日本語を交えて話す彼だが、通訳が横に居て正しく翻訳して伝えてくれた。
 彼の顔付きは、いたって真剣で、翻訳中にも私の目を逸らすことをしなかった。
 間違いなく「本音」であった。私は韓国人のことが何故か無性に羨ましくなった。
 終始一貫ニコニコしている佐々木さんと、時に真剣な彼との対比が鮮やかだった。
 こういう男と友達になりたいなと、その時思った。

「マネージャーは居ないのですか?」
「そんなの居ないですよ」
「どうしてですか?」
 彼の素朴な質問に佐々木さんが私に代わって答えてくれた。
「日本の写真業界には未だそういうシステムがないんですよ」
「そうなんですか・・」
 彼は本当に驚いた様子で目を丸くしていたが、実のところ私も驚いていた。 
 その時私は、それまでは、何処かにそんな会社か個人が有って、いつか出会えるろうと淡い期待を抱いていたのであるが、絶望しなければならないからだった。
 個展の時に、「うちだけと契約を」と誘ってくれたエージェントにしても、そのようなシステムは備えておらず、その契約関係は極めて曖昧なものだったのだ。
 女社長の所にしても、星野道夫が精一杯で、マネジメントというよりは、彼自信の事務所と提携していて、逆に彼を看板にしているのがオチだった。
 他に若手の写真家も数人抱えているが、皆食えていないのが実情だった。

 甥子のところが一番それに近い存在だったのであるが、それには程遠いものであるのが実際であった。契約書も一枚だけの内容の無い恥ずかしいような代物だった。
「貴社だけに預けて他には預けません。販売は全て貴社を通します」
「売れたときには売価の50%のマージンを支払います」
 簡単に言うと、それだけの契約書であった。
 それは、余りにも一方的な契約関係で、プロとして最低限の保証も皆無であった。
 私なりにその時少し疑問を投げかけたのだが、空気を読んで直ぐに引っ込めた。
 契約作家が外人のエージェントということで、期待したのだ、が間違いだった。

 私は、これが現実だと知って、その時も愕然とするのであったが、日本的なものにも必ず良い面は有る筈で「郷に入れば郷に従え」と思うのであった。
 しかし、その郷の入り口で私は思わず躓いてしまい、入り損ねてしまうのだった。
 甥子は、私の写真を気に入っているようなのだが、それが一体どれだけのものなのか、いま一つ分からないところがあるし、私という人物をどれだけ理解してくれているのかという点については、じつに心もとないかぎりであった。
 そもそも、仮に、彼に好かれてこの先上手く付き合うことが出来たとしても、結果は、必ずしも大して期待できるものではなかったであろう。
 気軽で曖昧な契約関係で、どんな成果が齎されるというのだろうかと。
 私の最大の敵は、最初から「曖昧」というその二文字だった。もしかしたら、それを味方に付ければ最強かもしれないが、私にそんな気はさらさら無いのであった。  


「分かりました。私共が少し考えて招待状を送ってみます。社交辞令なんですがこういうのは一定の配布先が決まってもいて、誰が来るかはお楽しみということで」
「すみません。とにかく何かやらなきゃと、急に思い付いちゃったものだから・・」
「でも、私はそんなに心配してないんですよ。BeeBooksの関係で、ある程度の人数は予想できますし、もしかしたら秋山先生が御出になるかもしれませんから」
「えっ?秋山庄太郎先生がですか?僕も先生には招待状は出すつもりでいるんですが、まさか本当に来て頂けるなんて思っていませんよ。失礼かもしれないとさえ・・」
「そんなことはないですよ。是非招待状送って下さい。こちらとしても当然送ります」
「それにしても、実際のところ秋山先生は来てくれるものなんでしょうか?」
「さあ、それは私には分かりません。残念ながら。うちには政治力も有りませんから」
「政治力・・ですか。良く分からないけど、そんなものは余計な話だと思いますね。
そんな力で持ち上げられても、余り褒められた話じゃないし、嬉しくない。そう思う」
「そういえば、藤田さんは秋山先生とどんなお知り合いだったんでしたっけ?」
「だから、何時も言ってますが、何の知り合いでもなく、関係もない。会った事もないんですよ。本当に。BeeBooksがキッカケなんです。序文も頼んでないし、先生の方から頂いたんです。急に序文を・・」
「それはやっぱり本当だったんですね・・。」
「それは嘘だという噂が有るようなんですね。先生にも失礼な話ですよ。それは」
「先生の『花の会』の会員かと思いましたが、それも違うの?」
「違いますね。残念ながら。その会なら聞いたことはありますが」
「これは驚くべき話ですね。本当なんだ・・」
「だから、僕の方か驚いてるんですよ。本当に」 

「分かりました。先生がいらしてくれればいいですね」
「本当に来られたりしたら腰が抜けちゃったりしそうですけど」
「ははは、私は大丈夫ですから。ご心配なく」

そうして、個展の準備が全て整い、初日を迎えることになり、その前に用事も有って、私は、その日ペンタックスフォーラムを訪れていた。

「藤田さん、いよいよですね。レセプションを催すんだってね。すごいじゃん」
 佐々木さんの上司で副所長の保坂さんが、私を見付けるなり笑顔でそう言ってきた。
「ささやかなものですが、経験として一度やってみようと思いまして・・」
「その日はうちも佐藤さんのレセプションが同じ時間にあるもので、僕が担当なんですよ。だから、そっちにはどうしても行けないんです。すいませんね。申し訳ない」
「そうなんですか。それは知らなかった。佐藤さんなら僕も知ってます。有名だから」
 それは、佐藤秀明という私よりも一回り年上のドキュメント畑の中堅カメラマンで、作家の椎名誠の仲間らしく、テレビでも見たことがあった。ペンタックスで名刺交換をしたこともある。背が高く、見るからに温厚で人の良さそうなアウトドアマンである。「極北行」という写真集の出版に伴う同名の写真展であった。

「佐々木、お前はどうなんだ?行ってあげたら?」
「いや、佐々木さんも佐藤さんの方があるから、無理な話ですよ。大丈夫です」
「僕はなんとか時間の合間を見つけて行きたいと思ってるけど、無理っぽい」
「無理しなくていいですよ。当日の大変さが目に浮かんじゃいますから」

 保坂さんも佐々木さんも行く気が無く、私にはこのバッティングが幸いとさえ見えるのだった。それは、或る一つの口コミ情報が私の元に齎されていたからで、その情報源は、他ならぬ相棒だった。
 彼は、デビューしてから一年というもの、私とは一風違った営業形態をとっていた。社交のかぎりを尽くしてどんな所にも顔を出し、どんな情報も集め回って持ち帰ってくる。その多くは酒の場であるようで、地獄耳である。そしていつも新鮮な業界話を逐一私に教えてくれた。今日こんな話を聞いた、というふうに。
 
「今日、ペンタックスの保坂さんがお前のことでヘンなことを言ってたぞ」
「へえ、どんなことだろ。あんまり良いことじゃなさそうだな」
「悪口でもないんだけど、藤田さんは話すことが何時も重たいんだって。疲れるんだと」
「ああ、それは俺にとっては悪口じゃない。褒め言葉だわ」
「やっぱりそう来たな。お前はそうだと思ったよ。だが良い話じゃないと俺は思う」
「大丈夫。想定内だから。保坂さんは本当軽い人だから、重くて当然。どうてことない」
「だけど、佐々木さんも、『そうそう』と言って頷いていたからなあ・・」
「そうか。それはちょっとショックだな。まあ、それにしたってそれも今は想定内だ。
甥子と上手く行かなくて、紹介した佐々木さんの顔が瞑れておかしくなったし」
「あれはお前が潰したんじゃないだろ。完全独占契約で拘束しておいて一枚も売らなかったら、誰でも怒る。潰したのはむしろ・・」
「俺は怒った訳じゃなくて、愛想を付かしただけなんだけどな」
「俺だったら完全に怒ってるぞ。一年間何してくれたんだっ!って、ぶん殴ったかも」
「まあ、それは俺のキャラには無いし、有ったら怖くて契約しなかっただろうけど・・
それにしても舐められたもんだ。最初にいい加減な事が嫌いだと言ったら、こうなった」
「舐められたんじゃなくて、試されたんだよ」
「一年無収入で文句言わないかどうか。文句言わなかったら合格なんだよ」
「そんな馬鹿な。そんなこと有り得ない。考えられん。それで黙ってたら馬鹿だろ」
「そうだ。馬鹿だ。つまり馬鹿ばっかりなんだよ。どうも、この世界は。本当に」
「なんだよそれ。何か情報でもあるのかな。あったら教えてくれよ」
「また今度にする。それより頼りの佐々木さんがあれじゃ、困ったもんだな・・」
「良い人は頼りない。そういうことだ。頼りになんかするなってことだ」
「そういえば、木原は、上京したら頼りにしてくれって言ってたような・・」
「そうだったなあ。そういえば、佐々木さんは木原和人が嫌いだったらしい」
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sagapo5614

Author:sagapo5614
写真集「四季の肖像」の作者です。
プロフィルや作品はこちらのHPをご参照ください。http://mfnpf.jp/
下記リンク【四季の肖像】からどうぞ

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