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⑫雲の上の景色  

「うーん・・これは見たことがないような写真ばかりですね。素晴らしい。特にこの色なんかどうやって出したんですか?なにかフィルターとか使ったりしてますか?」

「いいえ何も使っていません。僕の写真はすべて自然光です。合成や加工なんかも一切しない主義なんです。ただこの写真は、夕方の陽が落ちるのを待って、あえて薄暗い中で長時間露光をかけて撮ってるんです。空が晴天なので紫外線が強くて、こういう場合は青みが特に増すんですね。この冬の渓谷の写真も同じ手法で撮ってます。地球の色を映しているんですよ。青が僕は好きですね」

 大きなライトテーブルの上に並べられた私が持参した代表作のポジフィルムを見て、その人は本当に感心した表情を見せた。そしてその中の一つの風景写真を指して質問を投げかけた。それは、奥日光の竜頭ノ滝の写真で、満開のミツバツツジと滝の流れを綺麗に捉えた私の自信作に違いなかった。

「これと同じような写真をよく見ますが、構図といい色といい、これは・・」

「ここは有名な撮影スポットですからね。この日も横でカメラマンの三脚がズラリと並んでいました。僕自身も此処で何度も通って写真を撮ってます。この作品は完成度が一番高くて、これ以上有り得ないと言っていいほどの自信作です。・・これ以上ないと言える写真を撮ることにしているんです。風景は未だこれからというのが実情ですけど・・。オリジナルの作風は完成したと思っています」

「いやいや、本当に完成度高いですね。これも、これも・・。これなんかも・・」

 その人のまるで手放しのように驚いた顔をして述べる感想に、私は嬉しくなって今までの苦労が一気に報われた気がしたものだ。こんなことは初めてだった。
 あの時のペンタックスの所長の宴席での赤ら顔とは、やはり訳がちがう。

「僕の作品のコンセプトは、絵としての完成度なんです。ずっとそれを追求してきて、作風が完成して、納得できる作品が集まってきて。それで、その作品をプロとしてビジネスで上手く活用して頂きたくて、何処かに良いエージェント、僕に合ったという意味ですが、ないものかと思ってるところなんです」

 私はこの時、既に二冊目の写真集「四季の肖像」を出版しており、タイトルのとおり「小さな」がとれて、本格的に風景作品に取組み始めていたのであるが、二年ほど経って、更に風景作品に磨きがかかって、作品点数もかなり増えていた。
 その風景作品を見て「素晴らしい」と言われ、感無量だったのは言うまでない。
 そして、その人が特別な人であるからには、その手応えは半端ではない。

 私がその日訪れたのは、「イメージバンク・ジャパン」という銀座にある会社で、当時アメリカで業界最大手のフォトエージェントの日本支社であった。
 私は、それまで自分自身で営業をして、各媒体への作品提供など、それなりに成果を出して来たのであるが、やはり営業的に限界を感じ、そもそも作家が自作品を売り歩くというのは美しいものではないし、私が苦手だと言って人間関係を省いていては、日本でビジネスがそう上手く行く筈もない。もう誰か何処かに助けて欲しかった。
 もしかしたら此処が私に合っている唯一のビジネスパートナーなのかもしれないと。
 そして、誰に訊いても「あそこは特別」と、一目置かれた雲の上の存在に違いなかった。

 私のそれまでやっていたビジネスといえば、名刺交換し自己紹介して、作品を見せて、「お役に立てば幸いです」「宜しくお願い致します」・・ただそれだけであった。
 営業努力といえば、売り込み先を探すのは当然だとして、先ずは何よりもひたすら日々作品に磨きをかけることであり、「それ以外に何が必要か」というほどに、そのスタイルを一向に変えることはしなかった。
 日本では、とにかく好かれて付き合って、人間関係を上手く結ぶのが一番なんだと充分わかっていた筈なのに、それが全く出来ていない。
 
 いや、しようとしなかったのが事実であった。作家がそのような人柄や人となりを好かれて認められても嬉しくはなく、作品を認められる事こそが本懐で、それが先ず先であり、それが全てとするべきであるとまで、本気で思っていた訳である。
 人間関係の成果は余計なもので、それでは作品の真の評価が分からなくなる。
 「貴方の人柄が気に入りましたから」と言われても、私は全く嬉しくなどない、と言っても過言ではない。作品の評価が先なら少しは喜べるだろうが、それを言われる場合において大抵それはなく、作品の真の評価などどうでもいいことが多い。

 「写真」というものに真のオリジナリティ、完成度を求めるということが、どれだけ困難な事なのか、もしかしたら誰にも分からないかもしれない。そのような営業スタイルが理解されること自体困難な事であるのかもしれないと、私は思っているのであった。
 しかし、それが急勾配の坂道で砂利道だとしても、誰にもそれが分からないとしても、私はその道を行くしかないと思っていたのだ。それが私の山の登り方だった。
 どんな古くさい習慣や、立ちはだかるどんな偽物も吹っ飛んで行くほどの作品とは何か、それを求めて作り上げてしまえばいいのだと、本気でそう思うのだった。

 プロのスタートを切るときに交わした相棒との会話が思い出される。「お前は人柄と人間関係を大事にして行け、俺は写真で勝負する」・・というものだ。

 この業界にマネージャーの存在が無いことは最初に思い知らされた訳だが、エージェントであれ何であれ、仕事相手と交遊を深め上手い事やっている芸術家が、世の中には大勢居て、その方が楽しくて仕事が上手く行くのは確かだろうが、そのような事に努めて長けているアーチストが真の一流本物である確率は、極めて小さいものだろう。
 しかし、それをよしとして優先する根深い風土がこの国には有って、日本になかなか真の本物と呼べる者が出て来ない理由が、どうもその辺りにあるのではないか。
 どんな世界においても、日本では人物の評価は才能よりも「人となり」や「性格」を優先するのが恒で、それは「和を乱さない」という集団主義の理念に照らし合わされる。 
 本物の才能の芽は、若いが故に、いとも簡単に摘み取られたり枯れたりするものだ。また、逆に、それが集団の恩恵によって真の本物になり損ねることもある。
 今迄どれだけの本物の才能が見過ごされ、見捨てられてきたか。或いは逆に、集団の保護によって折角の本物がまるで張子の虎のような代物に成り果てることもある。

 あの本のタイトルの前に「本物は・・」という言葉を付けると分かり易くていいかもしれない。本物の才能、本物の仕事、本物の友、本物の歓び、私はそれに憧れたのだ。

 本物が出難い、生き難い世界ということを知った上で「本物」を目指そうとした私は、もしかしたら無謀かもしれない。しかし私が求めるのは「本物とは何か」の答であった。 
 本当の喜び、本当の楽しみ、本当の笑い等は、それでこそ得られると思うのだった。

  しかし相棒は、最初から本物に拘る気はなくて、上手いこと付き合ってそこそこやって行ければ充分だと言い、その通りこの業界の懐深く入り込んで上手くやっていた。
 文字通りそこは私の目が及ぶ所ではなく、お陰で様々な裏話を知ることができた。特に企業カレンダーのプレゼンテーションとライブラリーの関係には驚かされた。それは、私が想像していた「日本的」という概念を凌駕して、じつに驚くべき実態であった。
 しかし、最初から期待していない私は、違う経緯でそれが決まったりして幸いだった。
「日本的も何もあるものか」とばかりに只ひたすら写真を磨く日々だったのであるが。そもそも、資本主義の競争原理が「日本的」であることは私に周知のものだったのだ。
 しかし「そうではない人」がどの世界にも必ず居ることを信じて疑わない私でもあった。

 彼は、私のカレンダーが早くから決まった一方で、それだけは追い付けないでいた。私と違う接触で上手くやっていると思ったのだが、其処には特別なものがあるらしい。
 その苦労話に度々驚かされた私であるが、悲しいかなそれも周知の範囲なのだった。そして、さすがの彼もそれを知ってから、その恒例行事に一気に興味を失うのだった。
 写真集も私と同じく二冊出し、ピッタリと追随して来ていたが、その出版の経緯にも、私とは全く違った驚くべきものがあり、その裏話にも、じつに興味深いものがある。 

 「日本人に生まれて損か得か」という著書の結論が、また思い浮かぶことになる。はっきりとした真の評価や、真実を求めてはならず、言わないのが得策なのだ。 
 物事の本質は、棚の上のお供え物として触れてはならないものということである。その本質が何時の間にか何だったか分からなくなるのが困ったことだが、そもそも真実や本物を求めるなど疲れるだけで、気楽にやって行く方が良いというものだ。
 本音よりも建前で物事が進み、どちらが本音だったかがそのうち曖昧になるという。欧米人には、それはやはり「二枚舌」にしか見えず、誰もが悩まされているということだ。恋愛に於いても、「本気で好き」ということを知られないのが得策ということである。
 そして、世の中けっしてそのような事ばかりではないと信じて止まない私であった。
本物とは何か・・。私は、確かにあの日、本物探しの冒険に旅立った筈なのだった。

 その人は、そうではなかった。思えば初めてのことだった。誰の紹介でもなく、突然電話を掛けて来た全くの初対面である。名刺も「自然写真家」とあるだけで「写真家協会」等の肩書もない無名の新人だ。
 私は、名刺と一緒に二冊の写真集を渡して自己紹介をし、作品をずらりと並べ、「お役に立てるでしょうか」と言って、ただ作品を見せるいつもの営業スタイルだ。
 彼は、二冊の写真集をパラパラと捲って見るのもそもそこに、ライトテーブルの上の私の最新作のポジ原稿を見て、開口一番、率直な感想を漏らすのだった。

「今まで何処かのエージェントやライブラリーに預けたことは有りますか?」

「デビュー当時に或るエージェントに一年預けましたが、全く一枚も売れませんでした。最初の写真展の時に契約希望が殺到したんですが、そこを選んだのが運の尽きでした。作家として預けた筈なのに。それがショックで以来『どこのライブラ
リーにも無い特別の写真』という触れ込みで自分で売込む事にしたんです。
それで自分なりに結果を出して来たんですが、やっぱり限界を感じまして、今ちょっとある所に預けていますが、思うような結果が出なくて、果たしてそこが自分に合っているのか、疑問を感じているところなんです。エージェントではなく、ライブラリーという感じしかなくて、作家が預けるのには、どうも違う気がするんです」

「それらはどこのエージェントですか?」
「売れなかった理由が分かりませんし。それは言いたくありません。今は・・」
「そうですね。私も聞かない方がいいでしょう。今は・・」

 私はこの時、直感的に「この人とは馬が合う。信頼し合える」と思ったものだ。
 私が嫌いなのは人間関係ではなく、それがビジネスの先に立つのが嫌なのだ。
 つまり、その信頼関係の本質が何か、それが分からなくなるのが嫌なのである。
 ビジネス上の本質が人間関係の機微によって損なわれてはならないと思うのだ。
良好な人間関係は望むものだが、その順番を間違えたら駄目と、思うのだった。私は寧ろ理解し合う良い人間関係を人一倍望んでいたと言えるかもしれない。
 
「その小さな写真集を名刺代わりにしてました。それには秋山庄太郎先生の序文を頂いていて、それが功を奏して企業カレンダーも幾つか決まったりしています。創作の写真作家として独立できたのは秋山先生のお陰だと思っています」

「秋山先生はうちの日本の写真家の看板作家になっていますよ。序文ですか?
あ、本当だ。失礼しました。それは気付かなかった・・」

 その人は本当に驚いた顔をして序文のページを開きマジマジと読むのであった。
私は、彼がそれを眼に留めることなく写真を見て感想を言われたことが、嬉しくてたまらなかった。それを見た後では、余計な先入観が加わることになり、真の評価が分かり難くなるからだ。この人が幾ら純粋でも、その信憑性は薄らいでいた
だろう。私は何時もその序文抜きで写真集を見て欲しいのが偽らざる本心だった。

「秋山先生とは何かの御縁があるのでしょうか?」

「それが全く無いんです。何時もそれを訊かれるのですが、その説明をすると誰も信じてくれなくて困るんです。そんなに不思議なことでしょうか?」

 序文を頂いた経緯を私が一通り話し終えると、彼はいきなり本題を切り出した。

「うちと契約しませんか?完全独占契約となりますが」

 完全独占契約という言葉に私は瞬時に悪夢を思い出していた。それによって一年間日干しにされたあの社長の甥子との関係は未だ記憶に新しかった。紹介してくれたペンタックスの佐々木さんとの関係も少しおかしくなってしまった。
 そういえば、その彼は、私の写真に対する評価を具体的に示してくれてない。それを求めると「契約するんだからそういうことでしょ」と言うだけだった。
 そこの社長も、思えば女好きという噂を聞くほど大そう軽い人物で、私の写真をどう思っているのか一向に分からないままだった。とにかく、彼と仲良くやってくれたまえと言うだけだった。私が目の当たりにした社長の醜態に驚かされもした。
 仲良くやるに越したことはないし私としてもそれは大いに歓迎するところである。しかし、それには、その前にもっと大事なことが有ると思った。物事には順序というものがあり、私にはその順序を変える気が全くなかった。
 その社長や甥子と幾ら馬が合わないとしても、ビジネス上の接点が確かであれば、それでいい。生き方や何か合わない点を合わせる必要はなく、合う点を見つけ出して、それを接点として付き合って行けばいいのだと、私は思うのだった。
プライベートは一線を隔した方がいい。その方がシビアな仕事が出来ると思った。
 ましてや、なあなあの馴れ合いになると、腐敗するのが世の常だと考えていた。

 その時に聞いた「完全独占契約です」という言葉がたしかに重なったのだが、その本質の違いは明らかだった。前の記憶はその瞬間に忘れ去ることにした。
 そして、その良からぬ不安が余計なものだったことを、直ぐに思い知らされた。

「はあ。それは大変光栄で、有り難いお話だと思います」
「私は、これを本社の契約審査に出してみようと思うのですが如何でしょうか?」
「契約審査とは?」

「ご存知のとおり此処はアメリカのイメージバンク社の日本支社で、我が社と契約を交わすには本社の本契約審査に正式に出してそれに通るのが一番なんです」
「本社の本契約の審査ですか・・」
「そうですよ。貴方の作品を見て私は久し振りにそれに出したいと思ったのです。今まで何人も日本の作家の審査を出して来ましたが、大半が通らないのが現状で、大変シビアで厳しい作家審査なんですが、通るといいなと思うんですよ」
「契約している日本の作家は皆その審査に通った人達ということてすか?」
「日本支社が出来た当初は、その時の日本を代表する各ジャンルの第一線で活躍中の写真家さんをラインナップしていて審査はしてません。その代わり完全独占じゃなくて、本社の戦力という訳でもないですが・・。風景なら前田真三さんが当
初から契約していて、秋山先生は最初からうちの筆頭写真家となっていますよ」

「そんな雲の上のような世界に私なんかが参入出来るのでしょうか?」

「審査が通ればそれが全てで、本社の即戦力になりますよ。世界中に支社が有って、作品の全てが一斉に配信されます。もちろん日本国内は国内で色々と需要が有って、営業担当がセールスをします。特に企業カレンダー。それも最大手のVIP物が殆んどになってます。世間がいくら不景気でも一向に減らないのがうちのカレンダー需要の特別なところです」

「本当に光栄です。僕は学生時代前田真三さんに憧れて写真家を志したんです。企業カレンダーに使われるような写真をと、そのビジネスモデルに憧れたんです。風景写真は撮影費が大変なんで、花や小さい自然の四季から始めましが・・。
日本特有というそのマーケットが確かに有って、そこで活躍するのが夢なんです。貴社の即戦力としてプレゼンテーションに出してもらえるという事ですか?」

「うちのカレンダーは、プレゼンテーションよりも企業から直の依頼が殆んどなんですよ。だから、うちが推す写真家というだけで決まると言っても過言じゃないですよ。不景気で企業カレンダーが減っているようですが、うちの場合は心配ありません」

 イメージバンク・ジャパンの芳賀社長の記事を見たのはつい最近のことだった。カメラ雑誌にイメージバンクの宣伝が載っていて、そこで写真のオリジナリティの重要性について語られていたので、是非この人に写真を見て欲しいと思ったのだ。
 そして、その結果がこのとおりであり、私の道は間違っていなかったと確信できた。

 それにしても「本審査」の厳しさが少し気にかかったのも確かだが、何故かそれについては全く心配はなく、作品のオリジナリティには絶大な自信が有った、なにしろその為に日々作品作りに精を出して、ひたすら腕を磨いて来た訳なのだから。
 日本だけでなく、世界にどんな自然写真が有るか、調べ尽くして、それを超えるものを作るということを目標にして来た私であった。海外の資料としては『オーデュボン』のダイアリーブックにその頂点を見出していて全て絵としての写真であた。
毎年、丸善の洋書コーナーで、新作を手にするのが楽しみになっていた。それを模した物が日本でも毎年「山渓」から出ているが、その違いには目も当てられない。
 
「本審査は本当に厳しいですよ。今までそれに通った日本の写真家はほんの数人しか居ないですから。あちらの世界は日本と違って、審査には作品の他に余計な情報や先入観は特別に作用しないんです。作品がお眼に叶わずダメならダメの結果となるんです。日本で有名で一流だと言っても、なかなかあちらには認めてもらえていないのが現実なんですよ。その代わり作品の価値を見抜く力は本物で、それに通れば本当に世界デビューとなりますよ」

「なんだか凄い話ですね。外国の花や自然が撮りたくなります。スイスとかカナダなんか興味あるんです。・・それにしても審査に落ちた日本の写真家が誰だか知りたい気がします。・・たとえば竹内敏信さんとか、楽園の三好さんとかどうなんでしょう?」
「その辺については契約した時にお話しますよ。もちろんオフレコになりますが」

 日本人に生まれて損をした者が報われるのはこれしかないのだろうか、と思うと、聊か簡単すぎるこの問題解決が果たしてベストだろうかと、少々寂しい感慨もあった。
 しかし、やはりワザワザ苦労するのも御免であるので、この機会は逃すべきではないのは自明であった。私はその審査が無性に楽しみでたまらなくなった。
 本物探しの旅は、此処で終わりでいいと、私は確かにそのとき思った。後は自分が本物になって、本物を作り、本物集めをするんだと、本当に楽しみになったものだ。

「だけど審査に落ちる可能性も充分に有りますから、もし、いま自信が無かったら、とりあえず本契約はやめて、とりあえず国内だけの契約にしてもいいですが・・」
 
 それは確かに有り難い提案だった。国内たけでも此処の営業で企業カレンダーは毎年確実に取れるだろうし、実績も積上げて行ける。何よりもこの社長の存在が稀有である。審査に出して落ちたら、それも萎んでしまうかもしれない。ここは
冒険は避けて、安全な道を選ぶべきかとも、確かに思えるのであった。

「どうします?本審査に出しますか?」

 もしかしたら、この社長は、本審査に落ちる事を想定していて私をからかっているのだろうか・・と思ったりもしたが、それは私の余計な詮索に他ならなかった。
 この人は本当に純粋に私が審査に通る事を望んでいたのだ。

「もし、貴方が本審査を望むなら、私が直接本社に行って掛け合って来ますよ。その写真集と、その代表作を少しの間お借りできますか?」
「はい。それは光栄なことで有り難いです。お願いしようと思います。断ることなんて出来ません。自信ありますし、これがダメなら一生ダメです。そのくらいの作品だと思っています。相手に不足はありません。本審査は望むところです」
「そうですか。分かりました。私なりに精一杯頑張ってみます。私は来週ちょうど本社へ行く用事があるので、ついでにこれを持って行って来ますよ」
「そうですか。恐縮です。宜しくお願い致します」
「いくら頑張っても、ダメなものはダメというのがあちらの常識でシビアですから。とにかく、そこはやっぱり日本とは違って、あちらは作品の評価が全ての世界ですから、覚悟が要りますよ」
「それは充分に分かっています。それだからこそ有り難くて、僕が望むところなんです」
「審査に通って本契約になった方が国内の営業もやり易くなりますからね。本当に本審査に通ると良いと思います。私なりに来週ちょっと頑張って来ますよ」
「作品には自信がありますから・・。宜しくお願いしますっ!」

 そして一ヶ月ほどが経ち、連絡が無いので心配だったが、本審査は全世界から常時数多くの申込があり、相当に時間が掛かるとのことだった。
 すると、それから少し経った後に社長から私に連絡があり、その声には只ならぬ緊張感があることから、良くない知らせだと思い、絶望感が胸をよぎった。
 
「本審査の結果が来ましたのでお伝えします・・。通りましたよ。私も嬉しい。驚いてます。文面は次のとおりです。・・『オリジナリティ・芸術性・商品価値、以上三点において申し分なし』・・ということです。商品価値、つまり売れる写真ということですよ」

 その通知は、私の写真人生において何よりも増して最高最大の評価の瞬間に違いなく、目指した写真の道が間違っていなかった事の証しに他ならなかった。
そこは確かに雲の上の世界にちがいなく、正にそこに立つことを許された瞬間だった。もしかしたら、ここが本当に目指した山の頂上なのかもしれないと思うのだった。
 爽やかな風が吹き渡り、その上には雲ひとつ無い別天地の青い空が広がっていた。
 本物の期待に応える為に本物の写真を撮って、私自身が本物になろうと誓うと、今までに思ってもいなかった漲る力が、私の中に新しく湧き上がってくるのであった。
 そして、その時は、下の方から白い霧が立ち込めて来る気配も無かった。

 ふと振り返ると、雲の切れ間の遥か彼方に山の麓が見えるではないか。あの日、友と夢を語らい、憧れを守り袋に入れ共に登り始めた愉しく懐かしい日々の戯れが。
 それは、やはり、真実と本物探しの旅にちがいなかった。しかし、浮かんでくるのは、何故か道草・・空回りの数々の寄り道まわり道。・・まるで小椋佳の、あの歌のように。
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Author:sagapo5614
写真集「四季の肖像」の作者です。
プロフィルや作品はこちらのHPをご参照ください。http://mfnpf.jp/
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