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⑥カルチャーショック

 相棒と私のプロデビューの時間差は、ちょうど半年であった。
 私が先にスタートを切ったのだが、その間には実績としの差は殆んど何もない。
それよりも寧ろ、私の上空には早くも暗雲が立ち込めていた。
 もちろん、その上にはちゃんと青い空が広がっていて、それが一時的なものだと
信じることが出来ていた。私の場合、それは想定内のものだったのであるが、やはり
現実に直面するとなると、それはカルチャーショックというものに他ならなかった。

「こちらがお話しました倉持さんです。業界では五本の指に入るエージェントの社長
の甥子さんで、僕と同級で友人でもあって、藤田さんとも同級になりますね。」
 ギャラリーの佐々木さんが、個展が終了した或る日、満を持して正式に紹介するた
めに二人を引き合わせてくれた。
「はじめまして。藤田と申します。宜しくお願い致します」
 彼は写真展の時に何度か来場していて、長い時間興味深く私の作品を見詰めていたりするので、特徴がある風貌もあって、よく覚えて知っていた。
 形どおりの挨拶と名刺交換をすると、彼はさっそく本題を切り出して来た。
「うちでやりましょうか。」
 あまりにも唐突なのでその意味が何か大体分かったのが私は説明が欲しかった。
「え、どういうことですか・・」

 写真展の間じつに様々な人と名刺交換をしたのだが、やはり眼目は、私がこれからプロとして生計を立てて行く為に重要な出会いがこの中に有るかということだった。
 そして、それらしい出会いがその中には確かに有った。
 フォトエージェンシー、フォトライブラリーというものがそれで、有名どころの数
社が私に興味を示してくれて、自社のアピールを丁寧にしてくれていて、その一社は星野道夫が看板作家ということだった。
「星野さんの写真集はうちが作ってるんですよ。」
 そう言ったのは「アニマルフォト」という会社のやり手らしい女社長だった。
「そうなんですか。出版社が出してくれるんじゃないんですか。」
「出すものを出さないことにはば出してくれませんので。」
「それは知りませんでした。大変なんですね。」
「うちはライブラリーとは違って作家と付き合って育てるエージェントなんですよ」
「僕のスタイルに合ってる気がします。」
「ただしうちと契約の場合には、うちだけにしてもらいたいのですが、どうですか?」
「その方がいいのであれば、それでいいと思いますよ。」
「そうですか。じぁあ、よく考えてお返事ください。楽しみにしております。」
 その会社名は知っていて、星野道夫の写真集も知っていたが、その女社長の存在は、当然ながら知らなかった。ロビーで話しているうちに佐々木さんも加わってき
て、世間話などが始まって、少し盛り上がったりもした。
「社長に気に入ってもらって可愛がってもらったらいいんじゃないの藤田さん。」
「気に入ってもらう自信なんてありませんよ。写真ならその自信ありますが。」
「藤田さんは固いんだから。もっとフランクに行かなくっちゃあ。社長に手解きしてもらうといいかもしれないなこれは・・」
「うふふ。へんなこと言わないでよ。それは光栄な話ですけどね・・」
 私はけっしていい気分ではなかったのだが、頭を掻いて照れ笑いをした。そして、もしそのような事になったときのことを、一瞬の間に様々想像してしまったものだ。
見れば、そこそこ美人な四十路の熟女である。胸元が開いていたりしていて、仕草もどこか色っぽく見えてくるではないか。この社長とどんな関係になれというのだ。
 まさかそんな。いやそれもいいかな、いやだめだだめだ。とんでもない。

「うちに預けてもらえれば嬉しいですよ。木原さんが出て行ってから、あの手の作品が実はうちも欲しいんですよ。」
 そう言ったのは、あの「光の五線譜」を企画して出したネイチャープロダクションだった。社長ではなく、営業担当者だったが、やはり私は大変嬉しくて、ここが間違いなく憧れた東京の第一線であることを認識させてくれ、感慨深いものだった。
 「ネイチャープロダクション」の存在は、私が学生の時に「光の五線譜」によって知っていて、その契約カメラマンで成る「N.P,S」という写真家グループの存在には特に興味があって、それは正に憧れでもあった。胸にそのエンブレムをあしらったカメラマンジャケットを身に着けて並んで写るプロフィル写真が眩しかったものだ。
 木原和人は「光の五線譜・3」の頃から参入していてそれは尚更憧れの対象になった。その誰もがいわゆる脱サラ組であることが私のプロ宣言の後押しになったに違いない。
そのエージェントが私との契約を欲している。なんと光栄なことなのだろう。

 写真展の目的が「プロとしての出発」ということが前もって知らされていたことは確かなようで、それに見合った業界の各社人物に案内状などが配られていたわけだ。
 カメラ雑誌社にもそれは当然行っていて、私はほぼ毎日会場に詰めていたので、その各社の編集部なりが来て、どんな反応・評価があるのか、恐れながら楽しみにしていた。
 しかし、それらしき人物は二週間の間ついに私の前には現れず、肩透かしを食ったような感じであった。あとで芳名録を見たらそこにはそれらの社名と編集部の人名が記されており、安心したのだが、得体の知れない不気味さを感じたのも確かだった。
「日本カメラ」「朝日カメラ」「学研」など、たしかに私の写真展に来てくれていた。
 私が不在の時に来られたのか、それとも意図的に会うのを避けたのか。会う気があれば出来るのにしていないのはどういうことなのか。などと、どうしても思ってしまう。唯一その中で来てくれて挨拶できたのは「日本フォトコンテスト」の編集長だった。この写真誌は、佐々木さんの尽力で、この写真展に合わせた4月号の口絵に、前もって載せるよう手筈を付けてあり、当り前といえば当り前の話でそれは周到な根回しなのだった。
 そして驚いたことに、その彼も私と同じ歳だということで、その日はそれで大いに盛り上がるのだった。若いの若くないのと三十路という同年代の自虐ネタに花が咲く。しかし、私はその時、何か一抹の不安、空しさのような感覚が心の底に広がるのを禁じ得なかったのも、また確かなのだった。
 この編集長は、見るからに人が良さそうで正直な人物である。そして私をどうやら気に入っている様子で、人懐っこく色々と話しかけてくれている。私もけっして悪い気はせず、話も楽しいのであるが、あえて言えば「何かがちがう。」 私がしたいのは写真の話であるのに、それが棚の上に上げられて、まるであたかも避けてでもいるかのようであるのだ。
 口絵に抜擢してくれたということは、即ち私の写真の評価があってのことに違いない。しかし、はたしてそれだけだろうか。話すほどにそれが分からなくなる。作品よりも「人となり」気に入られてナンボとはこの事か。それにしてもまるで急ごしらえのこの親密感に感じるこのどうしようもない違和感は何だろう?。そんな疑問が私にはどうしても沸いて来るのだ。おかしいだろうか。
まことに残念ながら、この人たちに此処で事のほか気に入ってもらう心算が私には無いのだ。
それにしても、写真展の評価が何時どうやって得られるのかも、さっぱり分からない。私が今ここに居るのは私の写真の真の評価を知る為なのに、しかしもうそんな事はまるでどうでもいいようだ。

 そして、そんな疑問符が大きくなってしまった一つの会話がその頃にあった。
「藤田さんはウチの佐々木と学生時代からの友達なんだってね。」
「いや、佐々木さんとは、この写真展のことで始めて知り合ったんです。大学も、僕は名古屋ですし、佐々木さんは東京の立教です。知り合いようがないですよ。」
「ほんうとうかい。それは意外だなあ。それでよくあんな写真展が開けたもんだなあ」
「本当ですね。写真展の応募に普通の手続をして普通に申し込んだんですよ。それで、その時の担当が佐々木さんだった、ということなんです。とにかく佐々木さんのお陰です。」
「へえぇ、そうだったの。驚いた・・。まあ、うちの者とは精々仲良くやってくれたまえっ。」
「はい。そのつもりです。こちらこそ宜しくお願い致しますっ」
 それは、いつもは顔を出さないベンタックスの重役の人で、何かのレセプションの時に始めて名刺交換をした時に交わしたものだった。その時の重役の驚き方は普通ではなく、まるで何かカルチャーショックを喰らった感じに私は見えた。人間関係において何のコネクションもない私を不思議がるその様子が面白かった。
 つまり、こうして皆で仲良く気楽に付き合い和気藹々でやって行こう、ということだろうが、私がそうなったらオシマイなのだ。
「もしかしたら、新しい事が確かに此処で起きていて、何かがきっと始まるに違いない」と、私は思った。 

「契約はうちだけにして下さい。」
「独占契約ということですね。」
「ハッキリとしたものではないですが、そういう事になるのかもしれませんね」
「どういうことでしょうか?」
「契約書にはそういう記載は無いですが、その方がやり易いんです。」
「どうして記載されないんでしょうか?」
「そんなにハッキリ独占としたら、生活を丸抱えする事になっちゃいますから。」
「それは出来ないことなんでしょうか?
「出来ないですね、プレッシャーがかかりますから。というかやり難くなる」
「やり難いんじゃ仕方ないですね。結果を出して頂かないと困りますからね。」
「心配をしなくても、結果を出すように頑張りますから。」
「丸抱えじゃなくても、最低保証みたいなものは無いんですか?」
「今のところ、うちにはそういうのは有りません。」
「僕の写真が売れないかもしれない訳ですか?」
「いえ、売れると思っているからのことで、即戦力ということになります。」 
「それは有り難いお話だと思います。」

これは、この業界のライブラリーやエージェンシーに於いて、契約の話になったときに決まって交わされる会話の凡例である。その口調や言い回しはそれぞれ
に違っていても異句同言、内容はまったく変わらないと言っていい。

 あの女社長の所にしても「うちだけにして」「頑張りますから」と言っていた。
その一方で契約書を見ると、独占契約らしき文言は何も無く、そこに有るのは、作品が売れたときに差し引かれるマージンの割合だけで、一律4~5割というのが相場のようだ。売れたら売れたとき。売れなかったら御免なさい。そういう事だ。
どこにしても同じだということが分かり、やはり、私の選択肢は一つになった。
 結局それは、佐々木さんが紹介してくれた社長の甥子の所であった。

「うちはハッキリとした完全独占契約だからね。」
「契約書にもそれが書かれてるんですか?」
「もちろん。他を通して作品を動かしてもらいたくないんです。自分でも。」
「その方がやり易いんですね。」
「そういうこと。だから、それが独占契約。」
「つまり、僕は作品の創出、撮影に専念して提供すればいいと。」
「そういうことです。」
「理想的ですね。それは。」
 佐々木さんの紹介であることと、契約書に独占の文言が記載されていることで、私は、契約を一社に絞るしかないのだとしたら、選択の余地は他になかった。

 そして、契約の日が来て、その日、渋谷の道玄坂の一等地にある立派な洒落た白いマンションの最上階のコンドミニアムの一室に居るのであった。高層ではないが、20階ほどの古い形の高級マンションはこの会社のステイタスを表しているようで、私は待っている間、次第に緊張してきて何かが始まる予感に身震いを禁じ得なかった。傍の本棚にあるのは洋書ばかりで、基本的に外人のアーチストを扱うエージェントだという予備知識に納得していた。

「うちが日本人のアーチストと正式に契約するのは藤田さんが始めてなんです。」
「契約書を確認してください。外人用のものを一部修正したものになりますが。」
「どんな修正なんでしょうね。」
「まあ、それはいいじゃないですか。日本人とアメリカ人は違いますから。」
「日本語に直しただけじゃないんですね。」
「とにかく一度目を通して、問題なければサインをお願いします。」
 外人相手の会社とあって、他の会社とさぞかし違うものだろうと思って期待して来た私は、先ず、一目見て、その期待の儚さを思い知らされるのであった。
「これ一枚ですか?」
「そうですよ。分かり易いでしょ。」
「はい。もう読めました。」
「では、下のところにサインです。」
契約書が何ページもあって分厚いのが欧米のビジネス社会だと聞いていた私は、ここが日本のど真ん中であるという現実を正に目の前に突きつけられていた。
 そして、サインをする前にどうしても聞かなければならない事が私にはあった。

「完全独占契約はいいんですが、売れなかったら一円も入らないわけですか?正直言って、何か一方的な気がするんですが、契約金とか、最低保証金とか、何かそういうのは、望めないんでしょうか?」

 にこやかだった彼の表情が急に真顔になって、落ち着いた様子でそれに答えた。
「そういうのは望まないで下さい。」
「もし望んだらどうなりますか?」
「私にはどうにも出来ません。」
 更に真顔になって、見ると笑顔が完全に消えている。
 私は、今が勝負だと思ってね更に発言を彼以上の真顔で続けた。
「では、社長さんと話させて頂けませんか?」
「社長は今居ません。ニューヨークに出張中です。このの件は全て私に任されいます。だから、私の判断が全てなんです」
「つまり、どうにもならないんですか・・」
「そうです・・・」
 これ以上掛け合っても無駄で、関係が悪化するだけと悟った私は酷く悩んだ。
 一分間の内に考えを巡らせて、そしてサインをすることに決めた。
 第一に、何あろうペンタックスの佐々木さんの紹介であることと、それから、契約書に一方的ながら完全独占契約が明記してあるという他には無い点である。
 明記も明言も無いのであるが、そこには自ずと不文律の責任関係が発生していて、そのことを彼も充分に承知しているのだろうと、私は思った。

「すみません。僕は基本的に最低限の自己主張はするように心がけているんです。何でも言いますから、その都度聞いてやって下さい。そして問題を解決しましょう。
何でも言い合って、何でも解決して、共に成長して行きましょう」
 彼が真顔をして頷いているので私は取って置きの言葉を後回しにしてサインした。
 契約書に完全独占が記されているのだが、他が言ってくれていた「頑張ります」が記されてもおらず、言葉としても聞いていなくて気になっていたこともある。
 そして、私は満を持しその言葉を彼に投げかけた。

「僕がこの世で一番きらいなことは、曖昧といいかげんであることなんです。僕と付き合う以上、そのことだけは気を付けて下さい。どうか宜しくお願いします。」

 そう言って明るく握手をしようと思った私は、正にその瞬間、図らずも彼の正体というものを目の当たりにすることになるのであった。そして本当にそれは目を疑った。
 テーブルを挟んで正面に座っていた彼は、突然、横を向いて、別のテーブルに移り、まるで幼児が拗ねてしまったようにテーブルを叩きながら突然叫んだのである。

「なんでそういうこというんかなー。言ってほしくなかったなー。やだなーっ!」

 その姿はさっきのでの落ち着きぶりからは豹変していて、まるで幼児のようである。顔は、元々童顔なのだが、頭はすっかり禿げ上がっていて、体形はメタボ。喋り方は甘えたようで声が細く小さく、社長の甥子という形容が似合ってる。林家こぶ平にそっくりだ。それは現実世界のものではなく、まるで漫画の一コマのようだった。

「すみません。すみません。僕が言い過ぎました。ははは、あははは」
どうしたらいいか分からなくて、訳もなく私は反射的に収拾のために謝っていた。

「そうだろうー。たのむよたのむよー。もっと気楽にやりたいんだよ僕はー。」
「そうですよね。気楽にやるのがいいですよね。それは僕も一緒ですよ。」
「ほんとー?頼むよねー。ほんとにもうーー!」
「本当ですよ。僕も気楽がそりゃいいに決まってますから。宜しくお願いしますっ!」

  どうにか甥子の機嫌は直り,その日の契約締結の調印式は終わるのであった。私の彼に対する期待は見事に外れ、逆に不思議な力が内に漲った。終ったのか、いやちがう、始まったのさ。
 それはあまりも鮮やかな現実としてのカルチャーショックの洗礼である。 しかし、このショックというものが、何かを変えるきっかけになることを密かに期待するのも事実であった。分かり易すぎる想定内の展開なのである。
「日本社会を上手く渡るには物事をハッキリさせない事、真実を追及しない事だというのは間違っている」・・「本物とは何か」・・あの若い日に友と語り合い掲げた夢と信条に揺るぎなどはない。
 それを体現することで嫌われ者にになるのだとしたら、それがどうした。望むところだ。本物を隠すのは誰だ・・。自信を失くして俯いた本物が顔を上げ、偽物が下を向とき時代も変わるさ・・。
 その時、確かに私は若かった。その精神は鋼のように硬い半面、じつは柔軟で、その真髄は基本的に楽天主義なのである。
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