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⑤それぞれのスタートライン

「森さん、木原さんの後を頼みますよ。」
「はい、光栄なことです。一生懸命頑張らせていただきます。」

 相棒に「ポスト木原和人」の白羽の矢が当たったのは間違いなかった。
 そのための個展が決まってからというもの、とんとん拍子で準備が進んで、急遽上京を決意して、物件探しも始まった。

 東京でのプロデビューが決まるまで、私たちは色々なアルバイトをしながら田舎で武者修行をしていたのであるが、今でいう所謂フリーターであった。
 しかし、それはさすがに長いこと続けてもいられずに、二人とも最後には遂に就職したのであるが、プロデビューが決まったと同時に同様にあっさりと脱サラとなった。
 そして、上京する際には最低限の軍資金を実家が用意してくれた。「アルバイトはもうしなくてもいい」と言ってくれたのは父だった。ペンタックスの佐々木さんが実家に来たりして、プロデビューが本当であることを確信できたのであろう。
 就職して安心した父だったのであるが、本心はそうではなかったのかもしれない。皆勤賞を取る絵に描いたように真面目な堅物サラリーマンの父の意外な一面を見る。
 相棒の実家も、私と同様の考えであったようだが、私よりもプロデビューが具体的であった分、安心しての上京であったのは確かなようだ。

 半年ほど一足速く上京していた私は、既に立川市のアパートに居を構えていたが、それは、ペンタックスがある新宿にアクセスがいいのと、JR中央線沿線だからであった。実家が名古屋なので、一本で繋がっていて何かと便利という理由もあった。実家の所在によって、沿線の町を選ぶ上京者は多いらしいが、本当だと思う。
 相棒のオリンパスも新宿にあるので、中央線沿線を希望して、結局、隣の国立駅の徒歩圏内に丁度いいアパートを見つけて、そこを根城にすることを決めたのだった。賃は7万円で2DKと、私と全く同じであった。事務所兼住居なので、一室を応接
間にして、仕事相手など来客に備えて準備万端という構えであった。とはいえ、所詮アパートなのだから、応接間といっても、それは最低限のものだった。それでもリサイクルショップで調達した小振りの応接セットを置いて、二人とも満足気であった。

 相棒の場合、その上京の必然性は私よりも確かなものだった。オリンパスに於いて、ハッキリと「ポスト木原和人」を告げられていて、そのための個展を開くのだから。
 私は少し羨ましかったが、自分のことのように嬉しかったのは間違いない。上京のための東京の物件情報を集めて送ったり、実際に現地を見て歩いたり、ワクワクしながら奔走したものだ。名古屋の実家から引っ越す日には、レンタカーの2トン車を借りてきて、積み込みを手伝った。慣れないので時間が掛かって、出発が夕方
になってしまったのだが、それが意外な功を奏した。

「おいっ!凄いなっ。あっちを見てみろ。花火だぞっ。綺麗だな。これはいい。」
「おー、本当だっ。よく見える。すごいすごい。」
 
 それは本当に予想もしていなかった光景だった。中央道は多摩川に沿って走っていて、その河川敷において、その日は丁度花火大会があちこちで開催されているのであった。
「ワーッ近付いて来た。スゲーッ。ターマヤーッ!」
無邪気に喜ぶ相棒の瞳に花火の光が確かに映って見えていた。
「これはいい景色だ。お前の上京を天が祝福してるんだよきっと。」
私はトラックを運転しながら、持ってきたカセットテープのうちの一つをデッキに挿入して、スイッチを押した。
 私は映画のサウンドトラックや、ビデオから音をダビングしたカセットテープを幾つか持っていて、撮影に行く時などにも道中にそれをさかんにかけていたものだ。
 二人で撮影に行くとき、運転は殆んど私が受け持っていた。私は車の運転が好きで、どれだけ長距離を走っても疲れないのだ。そして相棒の方はそうではなかった。
 撮影行の時よくかけていたのは「スタートレックだった。正にそれは冒険心を掻き立てられる名曲だと思う。邦画では黒澤明の「七人りの侍」や「用心棒」、山田洋二の「男はつらいよ」など、テープが擦り切れるほどかれて聞いたものだ。
 そして、そのとき私が選んでかけたのは「クレージーキャッツ・デラックス」という映画ビデオのそれだった。日本の高度成長期の勢いが反映した、植木等を主役にする、古沢憲吾監督による一連の喜劇映画を一時間に纏めた歌の名場面集である。
「おおっ、またこっちでも花火やってる。すごいすごいっ!」
「今日はいったい何て日なんだっ。」
 植木等の高らかな歌声に花火が重なって、なんと映えていたことか。その光景は、たしかに、これから大いなる夢を抱いて上京する一人の若者を祝福していた。そして、それは、相棒のキャラクターにこそ相応しいものだった。

 最初の名刺もちゃんと作っておいた。それは、名前の前に「自然写真家」という文字を印字しただけのものだったが、二人とも、それは晴れがましいものにちがいなく、本当に、その出来上がりに心を弾ませたものだった。そして、それが写真展の際に大活躍したのは言うまでもなく、二人とも同様に名刺交換の嵐となった。

 それにしても、私も個展開催の期間中、じつに様々な人と名刺交換をしたものだ。私の場合、東京に知合いが居るわけでもなく、業界に何のツテもなく、ただ「ペンタックスギャラリーでプロとして出発する為の個展を開きたい」と、審査を申し込んで、その許可が出ただけのことである。それがどんな意味を成しているのか、本当のところ良く分からないままなのだ。
 そのような五里霧中のような状況で、個展によって出会うことが出来た多くの人達の中に、写真家の私にとって本物の相手が必ず居るのだと、信じたものだった。

「藤田さんは写真が素晴らしいからやって行けるよ。僕も微力ながらお手伝いさせて頂きますから・・」

 考えれば、同じ歳でャラリー担当の佐々木さんから、最初にそう言ってもらったが、ただ、それだけなのだ。それは正に有り難い言葉であって、どれだけ心強く思ったか。
 もしかしたら、この人が生涯の友で、恩人というべき人になるのかもしれないのだとさえ。私はけっして社交家ではないが、特別に付き合いがわるい人間ではないと思っていて、例えば、飲み食いなどに誘われたら、理由もなく断らないつもりでいるのだ。とりあえず、「来るもの拒まず」という気構えでいるのであった。
 社会には、自分の知らない、想像も付かない価値観や性格を持った人達が居て、そんな人々との出会いというものを、密やかな楽しみにしていたのも確かであった。
 そんな出会いが私をどう変え、或いは変えないか、それを知りたいと思うのだった。

「いやー素晴らしい。とにかく素晴らしい。近年これまでの中で一番素晴らしいっ」

 個展の最終日の一日前の終了時に、突然、ギャラリーの所長が宴席を設けてくれていて、その時に、彼が大きな声でそう言って、パチパチと大きな拍手をしてくれた。それにつられて周りから拍手が巻き起こって、大いに盛り上がったものである。

「本当、本当、この前の・・さんとぜんぜん違う。素晴らしいよ本当にっ」
 佐々木さんが、待ってましたというように、囃し立て、
「木原和人ともぜんぜん違うし、こっちの方がいいっ!」

 隣の見知らぬカメラマンまでもが肩を叩いて祝福してくれている。
 私はもちろん嬉しくて、もうニコニコ顔になって、酒宴の真中に居たわけであるが、酒に強い私は、注がれるビールを全て飲み干しているにも関わらず、全く酔わないのであった。そのためか、妙に冷静な自分がそこには居て、何か一つ不自然なものを、そ
の風景の中に見つけて、得体の知れない不安に掻き立てられているのであった。
それは、その所長の言葉が、じつに唐突に発せられ、その顔が真っ赤で、まったく正気ではなように見えたからである。完全に酔っ払っていて、出来上がっているのだ。それが、明らかに、出来上がるのを待っていたという感じなのである。酒に酔って本心を曝け出しているのだろうか。だとしたら喜ぶべきなのだろうか、と。

「所長さん。昨日はご馳走様でした。ありがとうございます。」
「いやいや、こちらこそ。」
いつも居ない所長が、その翌日、居たので、私はお辞儀をして自然に挨拶をしたのだ
が、何か大事な用事が有るとかで、出かける途中で忙しそうだった。
「今日、最終日となります。大変お世話になりました。」
「こちらこそ。まあ、頑張ってくれたまえ。」

 当り前かもしれないが、昨日のあの赤ら顔が別人のようで、それは冷たいものだった。気のせいだと思って、その時は気にしなかったが、そのギャップに不自然なものを感じずにはいられなかったのも確かであった。

「本音と建前を都合よく使い分ける」という日本社会の特異性について書かれている「比較文化論」の書物を読んで、覚えていた私は、その実例に直面して戸惑ったのた。
 所長のあの時の宴席での私への賞賛は、本音だったのか。それとも私の前ゆえの建前だったのか。・・とにかく所長は間違いなく酔っ払っていた。いや、それが分かるよにして、だらしのない顔を意図的に見せ付けてさえいた。何故だろう。などと。
 そのようにして気にするのは、よくない事で、余計なな詮索だと思う反面、そこに見えていた不自然な何か、それが何であるのかを、私は無視をすることが出来ないでいた。
 そして、その答えが何であるのか、それをひとまずは保留することにしたのだが、最低限後に分かった事は、「酒の席で言った言葉は何の意味も成さない」という結論だった。
 たとえそれがその人の心の底の本心であったとしても。「本心を知ってもらったのだから、どんな建前で処世したところで責めること無かれ」という、それは大人の処世術なのだった。私に対する、あのような解り易い評価の公言は、所長に関してはあの時
が最初で最後、そして、実際の個展の評価がどうであったのか、具体的に知る術は、この世界のどこを探しても、ついに何一つ見付からないのであった。
 考えれば、それは正に、予想していた「曖昧の美徳」の洗礼に他ならなかった。


「所長の本音が聞けて良かったじゃないか。喜べばいいんだよ。」
「いや、俺は素直には喜べない。本音より建前が大事な社会なんだだから。」
「じゃあ、絶賛が建前だったらいいな。」
「そうだな。だけど、あれは、やっぱり本音だと思う。」
「俺だったら、本音で充分嬉しいぞ。べつに何も考える必要ないと思うし。」
「お前は所長よりも先に酔っ払って、本音を言わせて大はしゃぎしてるだろうよ。」
「そうだな、完全に酔っ払って一番赤い顔して、歌の一つでも披露してるよっ。」
「お前は、そこが俺とちがうところで、それが良いところなんだからな。」
 相棒と私は、自分の周りで起きた出来事を、いつも話し合っていて、この時も、東京と名古屋でそんな話を電話でしていた。

「とにかく、お前はお前、俺は俺、だ。俺は深く考えずに楽しくやるよ。」
「それがいい。この社会は『好かれてナンボ』なんだから。お前は好かれるタイプだ
と思うからその路線で行けばいい。俺は嫌われたくはないけど、写真で勝負する。」
「俺はおまえのように写真に自信がないからな。仕方ないし。好かれたいから・・」
 
 私にぴったりとくっついて来て真似をしてばかりいて離れない相棒に対して、私は何時も敢えて突放すところを忘れないでいた。個性の違いを尊重していたのだ。自分に無い正反対の個性を彼は持っていて、それゆえのコンビネーションでもあるわけだ。

 そして、相棒の個展が開催されて、同じように宴席が設けられたが、そこでの彼の様子は想像がつき、大いに盛り上がったとのことだ。そして、状況は私の場合よりもずっと分かり易くて、本音とか建前とか、曖昧とは無縁の状況であったようだ。それに、本人は社交家だから、一遍の間に周りに気に入られたに違いなかった。

  この東京のこの業界で、それぞれがそれぞれの出会いをして、それぞれの道を行く。それぞれの違った道は、違った風景を見せるだろう。その風景は美しいだろうか。 同じ山を登る道だが、そのルートは、やはり違っているようだ。
 時々途中の花畑で落ち合ったりして、励まし合い、仲良くやって行こうではないか。
 
 それが、私と相棒の、似て非なる、二人の正にスタートラインなのだった。
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