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⑦初めての写真集・・秋山庄太郎

 上京してプロデビューを果たし一年半が経った頃、私は一冊の作品集を出版することが出来た。「小さな四季の肖像」という写真展と同タイトルの小型の写真集だ。
 甥子のところは、案の定の体たらくで、それは起死回生の一手に違いなかった。
 新作を含めて自選50点ほどの代表的作品を掲載し、初めて作品を広く世に問うことになり、それは、本当の意味でのプロデビューの瞬間だったのかもしれない。
 「BeeBooks」というシリーズの16巻目で、光村印刷による自費出版企画だ。
プロアマ問わないのが売りとなっていて、思い通りの物を出してもらえる。実際に有名な写真家が多数参加していて続々ラインアップし、一定のステイタスが確立していた。私の憧れである前田真三も後に参加している。
 作者の出す費用は凡そ百数十万円で、印刷や販売など、全て光村がやってくれる。写真界でも珍しい今迄にない企画であり、秋山庄太郎が発起人になっていた。
 販売網がごく限られており、売上や印税には期待できいし、それは眼中になかった。写真家の名刺代わりになればいい。目にもの見せよう、という意気込みであった。
 費用は、父が全面的に支援してくれて、一階のサラリーマンにとって決して小さい金額ではなく、その心意気の理由には、けっして一言では語れないものがある。

 しかし、その意気込みは、出版を前にして、思わぬ展開を見るのであった。

「藤田さん。大変なことになりましたよ。落ち着いて聞いて下さい」
 ゲラ刷りの出来を待っている私のところに光村印刷の飯島氏から電話が入った。
「何でしょうか」
 やけにもったいぶった口調は高揚していて、悪い知らせではないと分かった。
「いやあー、私も本当に驚いてるんですが、これは本当に大変なことですよ」
「だから、何がどうしたんでしょうか」
「秋山庄太郎先生が、藤田さんの写真集に序文を書くとおっしゃっているんです」
「えっ、序文・・ですか・・・」
 突然のことで、私は即座に理解仕切れずに、言葉をなくした。
「そうです。序文です。先生が書かれると仰せになって・・本当なんです」
 何が起きたのか理解できたが、私には事の重大さが未だ直ぐには理解できない。
「はあ、本当ですか。それは有り難いことだと思います。大変。はい」
「それで、藤田さんに了承して頂こうと思いまして。はい。そういうことです」
「了承も何も、有り難いとしか思いませんよ。了承が必要なんですね」
「はい、おっしゃるとおりです。いただけますね」
 私はこのとき、二つ返事で即座に了承をするには、やはり少し抵抗があった。
「了承したいですが、状況がいまいち分からないような気がします。どんな経緯
があったのか、教えてもらえませんか?」
「そうでしたね、私も余りに急なことで、前例も無いし、驚いてるもので」

 それはもう、そもそも彼が驚くのも当然で、秋山庄太郎は、知る人ぞ知る日本を代表する有名写真家で、分野を超えて写真界の頂点に立つ人物で有名人である。
 私は、秋山庄太郎なる人物には、その時何の面識も由来もなく、写真家の草分けとして尊敬しているが、その人となりは、テレビの対談番組などで知る程度であった。
 苦労話を柔和に語るその姿に、私は本物の芸術家を見る思いがしたものだ。

「前例が無いことなんですか。良く分かりませんが・・」
「じつは、藤田さんのゲラ刷りを先生がたまたま目にする事がありまして、先生が、
先生の方から序文を書かせてくれと・・。こんな事は初めてですよ。先生とは長いことお付き合いさせて頂いてますが・・依頼があって書かれた事はありますが・・先生の方から書かせてくれなんて・・初めてです。私どもは頼みもしてませんから」

 そういえば、最初の頃に「序文どうしますか?」と訊かれたことがあって、その時私は「べつに要りません」と即答したのを思い出していた。そして、序文を依頼するには、執筆者にそれなりの謝礼を出さなければならないことも。
 何にしても、そのようなものは余分であって、そもそも序文などというものにどれだけ真実味があるか分かったものではない。良い事が書いてあるに決まっている。
 その執筆者が大物であるほど疑わしいとさえ思っていたのだ。何の先入観もなく、純粋に作品だけを見てもらって、その評価が如何なるものかを知りたいのである。
 そして、私には自信があった。新しい自然写真の価値を創り出したという絶大なる自信が。写真が全てで、余計なものなど・・。私にかぎっては、そうでなければならないとさえ。

「分かりました。僕には断わる理由なんてどこにもありませんよ。聞けば聞くほど
有り難くて、勿体無いお話です。光栄でしかありません」
「そうですか。良かった。では直ぐに先生にご報告します。良かった良かった」
 そう言うとガチャリと慌しく電話が切れて、沈黙となった。そして、彼の尋常でない様子もさることながら、突然起きた事の重大さが少しずつやっと理解できてきた。
 しかし、それにしても、どんな序文なのだろうか、謝礼は幾ら必要なのだろう、など、気になることが残っているのも確かであった。

「藤田さん、先生の序文が届きましたよ。今、解読中ですから直ぐに送ります」
「え、どういうことですか。それにしても速いですね」
「そうなんですよ。それも驚きです。先生が藤田さんの写真に惚れたという事です」
「早く序文を拝見したいです。解読中て、どういうことですか?」
「じつは、小生も殆んど読めないんですよ。先生の直筆。見たんですが・・読めない」
「へえーそんなことがあるんですか。読めないほど達筆ってことですか」
「達筆なんでしょ。独特なんですよ。我が社の中にも読めるのは二人とい居ない」
「ぜんぜん読めないんですか?何が書いてあるか気になりますね。楽しみですが」
「少しは分かります。藤田さんを励ます内容になってると思います」
「そうですか。それは何より有り難いと思います。本当に光栄で恐縮です」
「これを機に藤田さん頑張って下さい。先生もそう言ってます」
「有り難うございます。・・謝礼とかはどうなるんでしょうか。幾らくらいとか・・」
「それなんですが、今回、その事を先生は一切お話にならないんですよ。困ってます。・・その点について藤田さんは心配しなくていいです。私共で何とかしますから」
「そうなんですか・・だとしたら恐縮です。申し訳ありません」
「いやいや、大丈夫です。私共こそこのような写真集を作れて嬉しいかぎりです」

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

若さと情熱を注いで・・・  写真家 秋山庄太郎

 若い自然写真家である藤田稔君が自然のミクロを美しい映像に仕上げる製作
に熱心であることには大賛成である。
 現状では、若い写真家は受注製作の道を選んで、先ず生活の安定を求める風
潮が当然と見られている。その中で、藤田稔君が殆んど自主制作を以て写真家
生活に入ったことはまことに珍しいが、幸運にも近頃ネイチャーフォト志向が
時代を牽引しそうな気配が見えるので、昔のように、余りにも目立つことのな
い淋しさを深くは味わわなくて済むかもしれない。私も嘗て花志向の道を歩み
はじめた頃、同世代の写真仲間から、奇麗ごとにすぎない。女、老人の仕事で
はないかと冷笑されたことがある。しかし、四半世紀近く花を写すことにこだ
わり続けた今日、徹底した私の花志向を哂う人はいない。
 五年、十年とミクロの世界にレンズを向け続けることは、なかなかの難事業
にちがいないが、藤田稔君は、若さと情熱を注いでネイチャーフォトのスペシ
ャリストとして白眉敵存在になってくれることを心から期待とて、一文の筆を
擱くものである。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 その序文の直筆は見せてもらったが頂けなかった。それは確かに達筆を超えて芸術的だった。そしてその文章は、心がこもった、磨き尽くされたものだった。
 私が期待したものとは少し違っていたが、それは充分に有り難く、貴重なものにちがいなかった。磨きすぎているところがあるが、それはそれで有り難いと思う。
 そして、それは、そのまま私の写真家としてのスタイルを決定付けるものになった。その有り難い序文を頂いた写真集は、名刺代わりどころか、免罪符になった。どこで出しても、まるで水戸黄門の印籠の如くのそれは驚くべき効果であった。
 そして、その言葉に報いる為に、写真制作に打ち込む情熱が胸に溢れるのだった。
「もっと良い作品を」「もっと凄い作品を」「もっと、もっと」「まだ、まだ」と。
 それが私の秋山庄太郎先生に対してできる唯一最小の恩返しと思うのだった。
 
「藤田さん。今週、秋山先生のところへ行きましょう。先生がスタジオに来られるので、そこでお礼を言いましょう。よろしいですね」 
「もちろんです。僕は本当に先生とは初対面になるんです。なんだか恐れ多いですね」
「心配ないです。藤田さんの事は色々と説明済みだから自己紹介はしなくていいです」
「そうなんですか。あまり時間はとれないということでしょうか?」
「ぜんぜん取れませんね。たぶん5分も取れればいいとこでしょう。当日は、各方面の色々な用件に対する月に一度の貴重な席でして、本当に配分の時間がないんです。
藤田さんは、お礼の言葉を一言伝えてもらえたら、それでいいんです」
「分かりました。宜しくお願い致します」

 直ぐにその日は来て、私は光村印刷へ出向き、会社の車で麻布の秋山スタジオへと連れて行かれた。時間を気にして、やたらに緊張する飯島さんの只ならぬ雰囲気に、気を押されながら、最低限のお礼の言葉を確認していると、その扉は開かれた。
 そして、そこには驚くべき光景が広がっていて、私の目は思わず真ん丸になった。
「これはなんだ」「・・・」「これが『秋山庄太郎』というものなのか・・」と。

 秋山スタジオはお城であった。外観は近代的なスタジオらしい建物なのだが、階段を上って鉄製の重たい扉を開けると、その奥の畳の上にその城主は鎮座されていた。
 普段は仕事場の写真スタジオなのだろう。数々の撮影機材が周りに見て取れる。今日はそれらが片付けられて12畳ほどの畳のステージが設えてあり、その一角はまるで戦国時代にタイムとリップしたような光景だ。大河ドラマによく出てくる
殿様の部屋そのものである。殿は徳川家康さながらの存在感で上座に鎮座し、脇にスタッフらしき若者を従えて、目の前に並べられた無数の写真を眺めている。
「先生は今、ああやってフォトコンテストなどの審査をしてるんです。なにしろ毎月沢山の案件があって、先生も大変なんです」
 私が訊く前に、飯島さんがさりげなく説明してくれた。
 それは、まるで流れ作業のように次から次へと成されて行って、順位や評価が小さな声で語られているようだ。
「先生は、審査の合間に、用事が有る人の用件を順番に聞かれるんです」
 見ると、上座の手前の空いた畳の上には何人もの背広を来た男が、行儀良く正座して整列している。一人の用件が済む度に一人ずつ順序良く近付いていく。
「そろそろ行きましょう」
 私は畳のところに連れて行かれて、前で靴を脱ぎその最後列に飯島さんと正座した。
「なんかすごい雰囲気ですね」
「ああ、初めてでしたね。面白いでしょ。私も最初はびびりました」
周りを見ると、男達が皆一様に極度に緊張した面持ちで正座して順番を待っている。彼らは、まさに殿様に陳情する地方大名そのものではないか。私にもその雰囲気が伝わって、思わぬ緊張に見舞われ、伝えるべき御礼の言葉を頭の中で繰り返していた。

 そして遂にその時がきた。付き人らしき人が、二人を真正面の席に手で招く。
 秋山氏は、流れ作業を止めることなく、写真の選別を続けている。
「光村印刷の飯島です。大変お世話になっております。こちらが藤田稔さんです」
 飯島さんがそう言うと、彼は作業の手を止めて、私の方をおもむろに見た。
 その眼差しは柔らかく優しくて、私はホッとした。全て分かっているようだった。
 そして、間違いなく私の言葉を待っていた。
 「写真家の藤田と申します。この度は大変有り難い序文を頂きまして光栄です。お言葉に恥じないように、これから良い写真を撮って精進したいと思っています。先生とは今日がはじめての・・」
 そう言いかけたところで飯島さんが膝を叩いて小声で耳元に囁いた。
「時間がないからもういいですよ。充分です」
私は、やけに落ち着いてしまい、色々話が出来そうに思ったのだが、間違いだった。
 飯島さんが別れの挨拶を促してきた。
「それでは、今日はこれで失礼します」と。
私も急いでお別れの挨拶をすることにした。
「本当に有り難うございます。これから頑張りますので宜しくお願い致します」
秋山氏は、基本的に写真を手にとったままの体勢なのだが、時々目が合って、その都度優しい顔をして無言で頷き、最後に私に言葉を一言発した。
「おう」
 ただ一言。本当にその一言であった。しかし意思の疎通には確かなものがあり、飯島氏が言うとおり、充分なのかもしれないと、その時思った。
 畳を降りて靴を履いていると、飯島さんが肩を叩いて呟いた。
「良かった良かった。完璧でしたよ」
「そうでしょうか。それにしてもやっぱり緊張しましたよ。凄い雰囲気なんですもん」
「ははは、良い経験しましたね」
「いや、本当です。有り難うございました」

私はこの日、家に帰って今日の体験を振り返り、或る映画のシーンを思い出していた。
『ブラザー・サン・シスター・ムーン』という作品で、私が何時も好きな映画の上位に掲げる何度観ても心が洗われる映像美に溢れたゼフィレッリの名作だ。
 それは、主人公の伝道師が協会の腐敗と信仰の真実を訴える為にローマ法王に謁見するシーンだ。漠然としていたが、重なるものがあると感じたのだった。秋山庄太郎はまるでローマ法王のようで、私は丁度その若き殉教者のようてはないか。 特別に根拠が有る訳ではないが、そこにはたしかに重なる何かが有った。
 私がこの映画を好きな理由は、じつはその場面より、序盤の美しい自然美を映し出す主人公が生きる歓びに目覚めるシーンがたまらなく好きだからであった。
 ドノヴァンが歌う主題歌が流れ、自然の花や昆虫の綺麗な姿がアップで映されていて、初めて劇場で観たときの感動は、鮮やかに学生の私の心に刻み込まれた。
 もしかしたら、私の自然写真の原点は、ここにあったのかもしれないと思う。
実際に、私は、花と昆虫を撮影対象の主体にしていて「生きる歓び」「生きる意味」「自然の価値」を伝えようとしているのだ。人が自然を美しいと思うのは何故か、それを私は無意識のうちに自らに問いかけ、その答えを写真の中に求めているのだ。

 そして、これは後から知ったことだが、あの木原和人が、晩年秋山庄太郎を訪ね、問いかけたという。「私の写真はどうなのでしょうか? 」と・・。
 そして彼は、法王から励ましの言葉をもらって、大変喜んで帰ったということだ。彼が其処で謁見して言葉をもらうその時の光景が、鮮やかに私の目に浮かぶ。
 間違いなく、そのとき彼は彷徨っていたのだ。そして、其処へ来た。

 会うはずだった木原和人はもう居ない、しかし彼の足跡が其処にも残されていた。私は、知らぬ間に彼の通った坂道を歩いていることに気付き驚きを禁じ得なかった。彼は彷徨いの果てに其処に来たのだろうか。自分の写真の真の評価を知るために。
 道半ばに倒れた彼はの無念は如何ほどだっただろう。彼の目指したものが何かということを、私は分かる気がする。少なくとも、彼が求めた写真が何かということを。
 そして思うのだった。この道の行く先にはいったい何があり、これから、いったい私は、どれほどの本物の相手に巡り会えるというのだろうか・・と。
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