スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

⑧二回目の写真展(1)

  名刺代わりにと急遽作った写真集は、思いもよらぬ効果を発揮して、私の写真家としてのステイタスを一気に天井にまで高めることになってしまった。
 「なってしまった」というには、それなりの理由があり、一つには、それが余りに も急激なことなので、他者の私に対する対応が混乱して、それは様々な反応が周りで起き、けっして良いことばかりではなかったからだ。
 もちろんそれは、写真集の巻頭に掲げられた「秋山庄太郎の序文」の為であることに違いなく、先ずはその御利益たるや、私の想像を遥かに超えるものだった。

 書店で写真集を見たデザイナーやアートディレクターから直接仕事の依頼が有ったり、企業カレンダーのプレゼンテーションのポートフォリオにも威力を発揮して、大手企業のそれを難無く決めたりしたものだ。その時私は、たまたま何処のエージェントにも所属していなかったので、ギャランティーを百パーセント得ることになり、とくに、カレンダーのギャラは、最初から最高ランクのものに設定されてしまった。
私は、夢見ていた前田真三のビジネスモデルのステージに、その時立たされたのだ。毎年企業カレンダーを何本も決めて、千の位の収入がある前田真三の存在は、私が写真家を志すことになったキッカケに他ならず、最良のスタートを切れた訳である。
彼の分野は風景写真が主なので、そのうち私も風景をと思っていて、大いに
夢を描いたものだが、とりあえずは「小さな自然」でカレンダーが一本でも決まれば満足だった。そして、それが二本三本と増やすことが出来ればということだった。
カレンダー1本が、周りの若手写真家の年収に匹敵して、大いに妬まれたりもした。

 佐々木さんが頻りに紹介してくれる若手カメラマン達とも疎遠になってしまった。
元来、私は、自分から積極的に交友を広める性分を持ち合わせていないので、それはしかたのない成り行きだったかも知れない。
  また、その時私は、実際のところ、何故か自分のステイタスが確立したという実感がどうしても掴み切れずにいたのも確かで、私の素性も曖昧なものになっていた。

「藤田さんは天狗になっている」という声も聞こえて来て心が痛んだ。 私は、最初からレッスンプロの仕事を断っていて、そのことが余計にそのような噂を助長したのはたしかであろう。
 私が断るその理由を説明してあったので、一定の理解をしてもらえていると思ったら、そうでもなかったということなのだろう。
 佐々木さんは、「分かった」と言ってくれて、充分に理解し、私のポリシーを尊重してくれていると、私は思っていたのだ。
 そのような仕事が有ることは、私も知っていて、それを主としているカメラマンが
大勢居ることも知っている。しかし、やはり、その時の私には目指す所が別にあり、その途上なのである。アマチュアの指導をしているような場合ではないのであった。
 とにかく、私は、自分が一人前になる前に「先生」と呼ばれることを、どうしても受け容れることが出来ないのであった。
私には未だ未だ撮らねばならない花や風景があるし、作品の完成度も未だ未だ高めなければならないのである。それはそれは「一人前」に程遠いのであった。
 芸術としての写真を、絵画と同じ土俵に引き上げなければと、真剣に考えていた。

 そして、もう一つは、その序文の効果のために、写真そのものの評価というものが一体どのようなものなのかが曖昧で、私にはいまいち分からない点が残ったからだ。
 この有り難い序文を頂いたことが、即ち写真の評価に他ならず、少なくとも、私は「秋山庄太郎に認められた新人写真作家」という肩書を得たことになる。
 贅沢な話かもしれないが、厳密には、いまひとつ私には物足りない感があり、たとえば、仮にこの序文が無かったら一体どうなっていただろうかと、考える訳である。
カレンダーは決まっただろうか、仕事の依頼が降ってきたか、疑問であった。最初に考えたとおり「序文は要らない」というのが、もしかしたら正解だったのかもしれないと、私は、本気で思うのであった。

 そういえば、この御利益付き写真集が出たことで、周りの反応の混乱ぶりの一例に面白いエピソードが一つある。
 それは、初めての写真集の出版を機に二回目の写真展を急遽開いた時の事だ。 

「佐々木さん、この写真集の出版を機に写真展を開きたいんですが、どうですか?」
「うちで、ということ?」
「もちろんそうですよ、出来ますかね?」
「それは出来ると思うけど、1年はキッチリと埋まっちゃってるからなあ・・」
「そうですか、それでは間に合わないですね。どうしようもないですか?」
「ちょっと調整とかできるか、一度考えてみるよ」
「写真集が急に出来ちゃったもので、急な思い付きだし、すみません」

 しかし、調整は叶わずに、その代わりに直ぐにでも出来るギャラリーを佐々木さんが紹介してくれて、正直、仕方なく其処で開かせて頂くことにした。
 場所は、渋谷のドイフォトプラザで、当時中堅のフォトギャラリーである。タイトルは、「小さな四季の肖像・PartⅡ」とし、写真集の出版記念が趣旨の、新作の発表である。そして、初めての試みとして、レセプションなるものを催すことにした
のであった。
 そして準備は素早く整って、写真展の案内はがきとレセプションの招待状が出来上ってきた。案内状の宛先はペンタックスの時と同じで、ギャラリーが、決まった業界や個人に一律一斉に送達してくれる。問題はレセプションであった。

「何人ほどの規模にしましょうか?立食パーティーになりますから、食材の手配をしないといけませんので、ある程度の予測が必要なんです」
 ギャラリーの所長さんが私に問いかけてきた。
「じつは全く分からないんです。何処へ出したらいいのかも。初めてなんで、どういう
ものになるのかさえ、本当に分からない。有名人とそうでない人では違うだろうし」「うちの場合、時々は有名作家の大きな催しもやりますが、殆んどは小規模で、皆さん身内や知人、仲間で和気藹々のパーティーになっていますね」
「ご存知のとおり、僕は未だプロとしてスタートしたばかりで、この世界に名前も出てないし、業界に特別親しい人も出来ちゃいない。写真家協会にも未だ入ってないし、
エージェントやライブラリーにも預けたり付き合いもない。それに、身内や知人、友人なんかも、東京には皆無と言っていい状況なんです」

 こういう場合にも、やっぱりマネージャーなんかが付いたりしていたら楽なんだなあと、その時思ったが、この業界では写真家をマネジメントするような会社も個人も皆無というのが現在の紛れもない実情である。まさかと思ったが、本当であったのだ。
 そういえば、私の最初の個展の時、次の写真展の写真家が、母国で売り出し中の韓国人で、彼にはしっかりとマネージャーが付き添っていた。
 打合せのために私の個展中に彼がペンタックスフォーラムを訪れた時に、ロビーで少し話をすることができた。佐々木さんが、双方を丁寧に紹介してくれるのだった。
 彼はコマーシャル畑のファッションカメラマンらしく、自然風景を取り入れた独自の作風を誇っているようだ。白い羽衣を纏った女性が自然の中で色々なポーズをして、民族色が色濃く出ている。非常に清潔で正統派の写真家であるようだ。

「この写真、素晴らしいですね。韓国ではこんな自然写真は一枚もありません。貴方が韓国に来たら直ぐにトップになりますよ。間違いありません」
「そうだ。藤田さん。韓国で一旗上げますか。これはいいかもしれないなっ!」
 佐々木さんが冗談めかしてそう言った。
 私は全く面白くなかったが、笑って返した。
「ははは、それはいい。だけど、何故かちっとも笑えないんだなこれが」
「まあまあ、冗談冗談。ジョークジョーク。ゴメンゴメン」
 佐々木さんは、しきりに真顔で謝るが、そのリアクションに私は戸惑うのであった。ボケに対するツッコミの筈なのだが、聊かヘビーだったようだ。
 それ以来「藤田さんには下手な事を言えない」という定評が付いたかもしれない。私も実際「変な事は言うんじゃないぞ」という雰囲気を、時に醸し出していたようだ。

 彼は、この世界で最初の私の理解者であることに違いはなく、このような個展を開いて正式にプロデビュー出来たのも彼のお陰だ。写真展は、レセプションこそ無かったが、期間中には大勢の関係者の来場があり私の名刺入れが満タンにもなった。

「暫くは僕に任せておいて下さい。頼りないけど、色々とお手伝いしますから」
 いちばん最初に、そう言ってニッコリと屈託なく笑う佐々木さんだった。
 私は「いい人」だなと思った。もしかしたら東京で最初の友人なのかと思った。
しかし、現実の社会では、「いい人」というのは「頼りない人」と同意語であった。
彼の場合も、どうやらその例外ではかかったようだ。 
 満を持して紹介された仕事相手の甥子のところ(GIP)が、一年で売上ゼロという結果になり、私が愛想をつかして解約しことで、三人の関係がおかしくなってしまうのであった。それ以来佐々木さんは私に少し冷たくなって、その笑顔も以前と違った。
 同級の友が東京に出来て、仕事も上手く行くという甘い夢は、儚く消えてしまった。

「そうですか。有り難うございます。でも、これは日本にも中々無い写真ですから」
「そうそう。彼は日本で有望な新人なんですよ」
佐々木さんが、すかさずそう言って私をフォローしてくれた。しかし、ジョークの時と同じ口調と笑顔なので、今一信憑性に欠けていることを否めない。

「素晴らしい。貴方は日本で必ずトップになります。私が保証いたします」
 片言の日本語を交えて話す彼だが、通訳が横に居て正しく翻訳して伝えてくれた。
 彼の顔付きは、いたって真剣で、翻訳中にも私の目を逸らすことをしなかった。
 間違いなく「本音」であった。私は韓国人のことが何故か無性に羨ましくなった。
 終始一貫ニコニコしている佐々木さんと、時に真剣な彼との対比が鮮やかだった。
 こういう男と友達になりたいなと、その時思った。

「マネージャーは居ないのですか?」
「そんなの居ないですよ」
「どうしてですか?」
 彼の素朴な質問に佐々木さんが私に代わって答えてくれた。
「日本の写真業界には未だそういうシステムがないんですよ」
「そうなんですか・・」
 彼は本当に驚いた様子で目を丸くしていたが、実のところ私も驚いていた。 
 その時私は、それまでは、何処かにそんな会社か個人が有って、いつか出会えるろうと淡い期待を抱いていたのであるが、絶望しなければならないからだった。
 個展の時に、「うちだけと契約を」と誘ってくれたエージェントにしても、そのようなシステムは備えておらず、その契約関係は極めて曖昧なものだったのだ。
 女社長の所にしても、星野道夫が精一杯で、マネジメントというよりは、彼自信の事務所と提携していて、逆に彼を看板にしているのがオチだった。
 他に若手の写真家も数人抱えているが、皆食えていないのが実情だった。

 甥子のところが一番それに近い存在だったのであるが、それには程遠いものであるのが実際であった。契約書も一枚だけの内容の無い恥ずかしいような代物だった。
「貴社だけに預けて他には預けません。販売は全て貴社を通します」
「売れたときには売価の50%のマージンを支払います」
 簡単に言うと、それだけの契約書であった。
 それは、余りにも一方的な契約関係で、プロとして最低限の保証も皆無であった。
 私なりにその時少し疑問を投げかけたのだが、空気を読んで直ぐに引っ込めた。
 契約作家が外人のエージェントということで、期待したのだ、が間違いだった。

 私は、これが現実だと知って、その時も愕然とするのであったが、日本的なものにも必ず良い面は有る筈で「郷に入れば郷に従え」と思うのであった。
 しかし、その郷の入り口で私は思わず躓いてしまい、入り損ねてしまうのだった。
 甥子は、私の写真を気に入っているようなのだが、それが一体どれだけのものなのか、いま一つ分からないところがあるし、私という人物をどれだけ理解してくれているのかという点については、じつに心もとないかぎりであった。
 そもそも、仮に、彼に好かれてこの先上手く付き合うことが出来たとしても、結果は、必ずしも大して期待できるものではなかったであろう。
 気軽で曖昧な契約関係で、どんな成果が齎されるというのだろうかと。
 私の最大の敵は、最初から「曖昧」というその二文字だった。もしかしたら、それを味方に付ければ最強かもしれないが、私にそんな気はさらさら無いのであった。  


「分かりました。私共が少し考えて招待状を送ってみます。社交辞令なんですがこういうのは一定の配布先が決まってもいて、誰が来るかはお楽しみということで」
「すみません。とにかく何かやらなきゃと、急に思い付いちゃったものだから・・」
「でも、私はそんなに心配してないんですよ。BeeBooksの関係で、ある程度の人数は予想できますし、もしかしたら秋山先生が御出になるかもしれませんから」
「えっ?秋山庄太郎先生がですか?僕も先生には招待状は出すつもりでいるんですが、まさか本当に来て頂けるなんて思っていませんよ。失礼かもしれないとさえ・・」
「そんなことはないですよ。是非招待状送って下さい。こちらとしても当然送ります」
「それにしても、実際のところ秋山先生は来てくれるものなんでしょうか?」
「さあ、それは私には分かりません。残念ながら。うちには政治力も有りませんから」
「政治力・・ですか。良く分からないけど、そんなものは余計な話だと思いますね。
そんな力で持ち上げられても、余り褒められた話じゃないし、嬉しくない。そう思う」
「そういえば、藤田さんは秋山先生とどんなお知り合いだったんでしたっけ?」
「だから、何時も言ってますが、何の知り合いでもなく、関係もない。会った事もないんですよ。本当に。BeeBooksがキッカケなんです。序文も頼んでないし、先生の方から頂いたんです。急に序文を・・」
「それはやっぱり本当だったんですね・・。」
「それは嘘だという噂が有るようなんですね。先生にも失礼な話ですよ。それは」
「先生の『花の会』の会員かと思いましたが、それも違うの?」
「違いますね。残念ながら。その会なら聞いたことはありますが」
「これは驚くべき話ですね。本当なんだ・・」
「だから、僕の方か驚いてるんですよ。本当に」 

「分かりました。先生がいらしてくれればいいですね」
「本当に来られたりしたら腰が抜けちゃったりしそうですけど」
「ははは、私は大丈夫ですから。ご心配なく」

そうして、個展の準備が全て整い、初日を迎えることになり、その前に用事も有って、私は、その日ペンタックスフォーラムを訪れていた。

「藤田さん、いよいよですね。レセプションを催すんだってね。すごいじゃん」
 佐々木さんの上司で副所長の保坂さんが、私を見付けるなり笑顔でそう言ってきた。
「ささやかなものですが、経験として一度やってみようと思いまして・・」
「その日はうちも佐藤さんのレセプションが同じ時間にあるもので、僕が担当なんですよ。だから、そっちにはどうしても行けないんです。すいませんね。申し訳ない」
「そうなんですか。それは知らなかった。佐藤さんなら僕も知ってます。有名だから」
 それは、佐藤秀明という私よりも一回り年上のドキュメント畑の中堅カメラマンで、作家の椎名誠の仲間らしく、テレビでも見たことがあった。ペンタックスで名刺交換をしたこともある。背が高く、見るからに温厚で人の良さそうなアウトドアマンである。「極北行」という写真集の出版に伴う同名の写真展であった。

「佐々木、お前はどうなんだ?行ってあげたら?」
「いや、佐々木さんも佐藤さんの方があるから、無理な話ですよ。大丈夫です」
「僕はなんとか時間の合間を見つけて行きたいと思ってるけど、無理っぽい」
「無理しなくていいですよ。当日の大変さが目に浮かんじゃいますから」

 保坂さんも佐々木さんも行く気が無く、私にはこのバッティングが幸いとさえ見えるのだった。それは、或る一つの口コミ情報が私の元に齎されていたからで、その情報源は、他ならぬ相棒だった。
 彼は、デビューしてから一年というもの、私とは一風違った営業形態をとっていた。社交のかぎりを尽くしてどんな所にも顔を出し、どんな情報も集め回って持ち帰ってくる。その多くは酒の場であるようで、地獄耳である。そしていつも新鮮な業界話を逐一私に教えてくれた。今日こんな話を聞いた、というふうに。
 
「今日、ペンタックスの保坂さんがお前のことでヘンなことを言ってたぞ」
「へえ、どんなことだろ。あんまり良いことじゃなさそうだな」
「悪口でもないんだけど、藤田さんは話すことが何時も重たいんだって。疲れるんだと」
「ああ、それは俺にとっては悪口じゃない。褒め言葉だわ」
「やっぱりそう来たな。お前はそうだと思ったよ。だが良い話じゃないと俺は思う」
「大丈夫。想定内だから。保坂さんは本当軽い人だから、重くて当然。どうてことない」
「だけど、佐々木さんも、『そうそう』と言って頷いていたからなあ・・」
「そうか。それはちょっとショックだな。まあ、それにしたってそれも今は想定内だ。
甥子と上手く行かなくて、紹介した佐々木さんの顔が瞑れておかしくなったし」
「あれはお前が潰したんじゃないだろ。完全独占契約で拘束しておいて一枚も売らなかったら、誰でも怒る。潰したのはむしろ・・」
「俺は怒った訳じゃなくて、愛想を付かしただけなんだけどな」
「俺だったら完全に怒ってるぞ。一年間何してくれたんだっ!って、ぶん殴ったかも」
「まあ、それは俺のキャラには無いし、有ったら怖くて契約しなかっただろうけど・・
それにしても舐められたもんだ。最初にいい加減な事が嫌いだと言ったら、こうなった」
「舐められたんじゃなくて、試されたんだよ」
「一年無収入で文句言わないかどうか。文句言わなかったら合格なんだよ」
「そんな馬鹿な。そんなこと有り得ない。考えられん。それで黙ってたら馬鹿だろ」
「そうだ。馬鹿だ。つまり馬鹿ばっかりなんだよ。どうも、この世界は。本当に」
「なんだよそれ。何か情報でもあるのかな。あったら教えてくれよ」
「また今度にする。それより頼りの佐々木さんがあれじゃ、困ったもんだな・・」
「良い人は頼りない。そういうことだ。頼りになんかするなってことだ」
「そういえば、木原は、上京したら頼りにしてくれって言ってたような・・」
「そうだったなあ。そういえば、佐々木さんは木原和人が嫌いだったらしい」
関連記事
スポンサーサイト

コメントの投稿

非公開コメント

カテゴリ
最新記事
プロフィール

sagapo5614

Author:sagapo5614
写真集「四季の肖像」の作者です。
プロフィルや作品はこちらのHPをご参照ください。http://mfnpf.jp/
下記リンク【四季の肖像】からどうぞ

リンク
月別アーカイブ
最新コメント
フリーエリア
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

検索フォーム
RSSリンクの表示
FC2カウンター
QRコード
QR
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。