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⑭山頂の霧

「本契約をするとなるとPPS社とは解約してもらうことになりますが、宜しいでしょうか」
「はい。あちらは独占契約でもないですし、引き止める理由もないでしょうから」
「では、早速あちら様には解約を申し出て下さい。それから契約という事になります」
「わかりました。明日にでも解約手続きをすることにします」
 
 PPSには一年ほど預けても成果が全く出ておらず、そこからの収入といえばカタログ掲載による売上だけだった。一冊の新しいそのカタログには、私の作品が30点ほど採用されていて、平均毎月3万ほどが契約口座に自動的に振込まれていた。多い月で6万、少ない月は1万で、0の月はなく、甥子の時よりは大そうましで喜ぶべきことである。私の作品はどれもトリミングの余地が全く無く、デザイナーが使い難い物なので余り期待していなかったが、まあそれなりの結果ではあった。
 PPS社はさほど力を入れていない様だが、その時は未だカタログ主流の時勢なので、単一ながら他社に見劣りしない出来栄えになっていた。しかし、外人の作品が多く、そのターゲットは限られたものの様に見受けられるのも確かであった。図らずもカタログ時代の恩恵を受けることになった私は、少し期待させてもらうことにした。
 そして、その時私はカタログの事を話していなかったことに気付いて話すことにした。

「そういえば、PPSのカタログに僕の写真が採用されているんですが、それはどうなるんでしょうか?」

 社長は、それを聞いて特に驚く様子もなく、書棚から何冊かのカタログを取り出してきて、それを私に開いて見せた。
「これを見てください。契約を途中解約した場合、自動的に作品はそこから撤去されることになるんです」

 そのカタログは、本社や他社の米国のもので、それは分厚い綺麗で立派なものだった。カタログ商法も、やはり日本より先に発達していて、年季の入った物のようだった。そして、その開いたページには、写真に×印が付いたものがあり、けっして少なくないのであった。

「この×印の写真は、全て解約した作家の作品なんです。こうなるだけのことですよ」
「はあ、そうなんですか。珍しい事じゃないんですね」
「そうです。原則自由契約なんですから、移動して自分に合った所へ移動するのは極めて日常的なことですよ」
「日本でもそうなんでしょうか?」
「前例が無いですが、大丈夫でしょう。なんとかなりますよ」
「わかりました。明日にでも早速解約しますので、よろしくお願いいたします」

 社長のしっかりとした笑顔に、その時私は大そう安心したものだ。
 しかし、「前例が無い」ということが、その時の私の心の片隅に引っかかり、一抹の不安が芽生えたことも確かであった。そしてその夜、PPSの契約書を取り出して読み返すことにした。読み返す、といっても、やはり1ページだけのそれは簡素なものである。解約条項は特別に無く、契約期間が3年で自動更新するということだ。しかし、カタログに関しては別紙が送られていて、それも半ページという極めて簡素なものだが、そこには気になる条文が記されていた。
 『甲乙の関係にいかなる事が生じてもカタログ掲載の作品の独占販売権は発行より5年間乙が有する』というものである。つまり、途中解約してもカタログだけは途中解約できない、ということであるようなのだ。
 契約の時、私の中には他へ移ったりして途中解約する事の想定など微塵も無く、「相変わらず一方的な契約だな」と思ったものの、「ここも日本の会社なんだな」とすっかり諦めの境地で、特に異論を呈する気なども全く無かった。異論を呈したところで、改善するものでなく、関係が悪くなるだけだという事が目に見えていた。そもそも、あれだけの事を言われて、ここが当て外れの結果になる予想など私には出来るものではないのであった。これ以上のエージェントが他に有ることも知らないのであった。
 私は、そのカタログに×点が付けられるかどうか少し不安であったが、とりあえずとにかくPPSに解約をを申し出た。

「解約しなくてもいいのではないでしょうか?うちは独占しませんし、他と契約しても、ご自分でやられても構いませんよ。そのままでいいのではないでしょうか?」
 彼女は終始いたって冷静で、微笑みさえ浮かべてそう話す。
「そうも行かないんです。どうしても解約しなければならない事情があるんです」
「何でしょう?」
 冷静だった彼女が初めて驚いた様子を見せた。
「じつは、或る所が僕と契約したいという話が合って、そこは完全独占契約なんです」
「それは、どこのエージェントでしょう」
「イメージバンク・ジャパンです」
 その時の彼女の目が真ん丸になったのは言うまでもない。
「本社の作家本契約の審査が通ったもので、この機会を大事にしたいんです」
 彼女は冷静に勤めていたが、その動揺は隠しきれるものではなかった。
「イメージバンクは知っております。うちの良いライバル社です。あそこは海外では強いでしょうが、日本国内ではウチの方が強いですよ。その辺の事を良くお考えになった方がよろしいと私は思います」
「すみません。これはもうよく考えた結果なんです。軽はずみで言うことではありませんので」

 飛ぶ鳥あとを濁さず、なので、これ以上の話はすまいと思ったが、どうしても話さなければならないものがあり、それはカタログについてであった。

「ところで、解約させて頂いたとして、カタログの掲載作品の扱いはどうなるのでしょう?。契約書には途中解約してもカタログの契約は発行から5年間できないとありますが・・」
「そのとおりです。本契約は途中解約できてもカタログの方はできません。契約書に御同意されている筈ですが・・」

 彼女に冷静さが急に戻って、私は想定内ながら少し焦った。そして、これは何としてもクリアしないと駄目だと思った。
「その事なんですが、その点なんとかならないものでしょうか。イメージバンクの話では、解約と同時にカタログから撤去するのが慣例で常識ということなんですが・・」
「あちら様の常識は私どもには分かりかねます。それは非常に困難だと思われます。そのような常識も前例も、私どもは持ち合わせてはおりません」

 彼女の抑揚のない冷静かつ事務的な口調に、私は少し戸惑った。私を手放したくないのかどうか、その本心が分からなくなった。
「契約書の最後に『条項に疑義が生じた時は穏便に協議して解決する』みたいのがありますが、なんとかならないのでしょうか?」
 彼女の事務的な口調は変わらなかった。
「そうでこざいますね。できればなんとかしたいのは山々なのですが、こればかりは難しいものと私は思います」
「それは難しい話だと僕も思ってます。だから、その上でなんとか解決できないかということです」
「カタログを解約して撤去しないと、あちらとは契約できない、」ということなのでしょうか」
「そういうことです。あちらではそれが常識で通例らしくて、そんな難しい話じゃないと思ったんですか・・」
「いえ、これはかなり難しい話だと、私はやはり思います」
「難しいことはよく分かりました。余程の事として是非解決したいと思います。宜しくお願いいたします」

 私は、今ここで解決できる問題ではないと分かって、仕方なくこの日の話はそれまでにした。最後に私を出口へと送り、笑顔で深々と御辞儀をする彼女は、その欧米的な会社の洒落た容姿とは裏腹に日本の会社の日本人そのものの佇まいであった。

「そうですか・・。これは少々面倒ですね。私としても、本社に掛け合ってカタログをそのままにして良いか調整してみますが、できればPPSがそれを許してくれると良いんですが、・・それはどうなんです?」
「それは、もちろん僕も頼んでみました。・・担当の人はかなり難しいと言っていまして、検討するみたいなんですが・・」
「分かりました。私が両面でなんとかなるように頑張ってみます」
「そうですか・・。すみませんが、どうか宜しくお願いします」

 イメージバンクの社長は、すこし曇った表情ながら、その言葉には強いものがあり、私はこの人に一腹の信頼を託すのであった。 
 それにしても、あの契約書は何なんだ。たった一、二枚の薄っぺらいものに書かれている事は、考えれば一方的に会社側に都合のいい事ばかりなのである。売れたら売れた時。売れるかどうかは分からない。売上の配分と支払い方が明記してあるが、契約作家にとって肝心なものが何も記されていない。本当に売れるのだろうか。どれだけ売ることに尽力してくれるのだろうか。心配のままである。あの甥子の所と何も変わってなどいない。契約できるのだから、それだけで作品の価値を認めていることになっている。しかし具体的なはっきりとした評価の言葉が一度も聞かれない。

 それはまるで「好きです」と言わないまま、「本気で好きな本命同士かどうか確認し合わないまま付き合う、曖昧な日本的な恋愛関係のようである。なんとなく本物気分で気楽に楽しくやれればそれでいいのだ。
 完全独占契約ではないので気楽な付合いなのだろうが、その裏で、じつのところ「ウチだけにしてほしい」という本音を漏らす。「ではそうしますよ」と本音で返した私であったが、その本音の取り交わしがどれだけ有効なものなのか、問題はそこにある。

 本音と建前を使い分ける社会は、日本独特の慣習に違いなく、欧米人にはどうしても理解できいなままのようだが、そこには、じつは日本人ならではの独特の美意識のような美徳があるのだと私は理解している。
 日本社会に於いては、個人ではどうしようもない、どうにもならない集団の掟が何処にも有って、それに従う理不尽の捌け口がそこには有るのではないか。集団社会の掟に縛られたまま、逆らえず従順に生きる弱い人間の自然な知恵が、そこに有るのではないか。・・それはつまり、事前に本音を伝えることで、実際に施す処遇の理不尽について、その呵責の許しを得ようとするものである。
 本音は本心で、建前はそうでない。欧米社会には「建前」に該当する言葉が無く、「TATEMAE」は日本独自の概念である。家を建てる際、柱等の骨組みが完成した時にそれをお披露目する祝賀の儀式が由来で、そこには何の手抜も偽りも無い事を示す大工の心意気というものがあった。つまり、本来「建前」とは施主(相手)に本音を見せる儀式なのだった。そして施主は大工を信頼し完成した家に疑念も持つことなく満足するのだ。しかし、そのような「建前」の「本音を見せる」という儀式と概念は、日本の近代資本主義社会に於いて次第に形骸化して、本来の意味を喪失、そこに有る筈の「本音」は何処かへ行ってしまうのであった。但しそれは消えたのではなく裏へ回ったということだ。儀式や形式の形骸化は、本質を見失うと言う意味で、どの社会においても有りがちな災厄の元であるに違いない。
 日本の集団社会は表面上建前と建前で成り立っており、建前の裏に本音があることを社会常識として認識し合い、必ずしも本音通りに物事が運ばない事を世の常として許容する社会がそみにある。つまりそれは、個人にとって理不尽な集団の掟に従うことを、お互いに暗黙で理解して納得し合あおうという、悲しい日本の文化的慣習なのである。そして、「建前」の中に「本音」が含まれることを信じ、それとは違う結果を慰め合うという美徳がそこにある。
 
 しかし、それを逆手に取れば、その本音と建前の使い分けは、善意の美徳を装った悪意の偽計にも使われかねない危うさがあるから困ったものだ。欧米人が言うところの、いわゆる「二枚舌」ということになる。
 義理と人情の板ばさみ・・人情を忍んで義理を通すあの高倉健の男の美学は誰の目にも鮮やかだ。義理の美徳を悪徳に裏切られ、最後の最後に「てめえらに義理もへったくれもあるもんか」と言って抑えていた人情の怒りを爆発させる仁侠映画の爽快さにはたまらないものがある。義理とはつまり形骸化した建前であり、人情はつまり本音であるということは言うまでもない。

 寡黙で不器用なな日本人の男の美学を自らも貫いた健さんの急逝は、今、日本中に大きな衝撃を与えているが、一つには、それは日本人が誰でも日常的に同じような境遇に置かれているからに違いない。美徳を信じ黙って自分の本音を抑え生きているのだ。・・健さんの冥福を心から祈りたい心境である。

 建前という概念が無い欧米社会では、本音が個人の行動原理の全てであって、集団社会に於いてもそれは一向に変わることがない。個人間においても、集団社会においても、極めて単純明快な人間関係がそこにある。
 契約前に話した自由な会話に本音が含まれていても、契約の際にはその認識が一致するとは限らない。そして、その乖離が想定できる場合には、肝心な部分に於いて安全の為に曖昧な言葉を遣うことになる。
 「義理」や「恥」がしっかりと社会規範として機能していた一昔前の日本は、独自ながらそれなりに成り立つ社会であったが、そのどちらもが希薄になった現在、そこに在る災厄の危機には計り知れないものがある。

 それらの古い規範の代わって発生したのが、つまり「曖昧」という新しい美徳なのである。義理と人情、建前と本音、その相反する板ばさみを避けるための知恵として、それは生まれた。日本社会のグローバル化によって、そのような古い常識が通用し難くなったことで、それに代わって自然発生的に誕生した人間関係の手法なのである。そして、それは瞬く間に日本の社会の隅々へと伝染し蔓延して行くのであった。
 そして、各方面場面における日本社会の諍いや混迷の原因の一つがここにあるのではないか、とも考えられる。

 余談であるが、拉致問題で北朝鮮の曖昧な対応に苦戦している日本の官僚や政治家の姿を見ると、それがどこか滑稽に見えて仕方ない。得意分野で完全にそのお株を取られてしまっているのは確かにおかしい。それはまるで本音と建前、曖昧の手法の限りを尽くした戦いを見ているようだ。そして、日本は完全に後手後手に回されている。「本音と建前」を遣い分けたり、「曖昧」によって解決して来た、そのしっぺ返しに遭っているのかもしれない。
 何をやっているんだ、と思わず言いたくなってしまう。建前の裏にある本音を考えて期待する日本人の美徳が、悪徳の前では何も通用しないという事に気付かないのかと。・・もしかしたら、あの人たちは「いい人」なのだろう。しかし、「いい人」とは、得てして大よそ頼りないものなのである。
 強くて悪い日本には戻ってもらいたくないが、頼り甲斐のあるいい人が何処かに居ないものかと、また思ってしまう。
 
 そもそも日本は、「契約社会」ではなくて「口約束」の社会であった。口に出して交わした約束事は必ず守る不文律の道徳としての社会規範が日本には古くから有って、それが見事に伝承されてきたのであった。「武士に二言は無い」「一度口から出たものは二度と戻せない」と言うように。それは、日本人の古き伝統としての「恥」の規範に基づいていて、「恥を知る」日本人ならではの社会規範に他ならない。かつて日本人の心は極めて美しいものであったのだ。
  しかし、集団の掟に盲目的に従い続けるこの国の個人の非力の悲しさは、けっして誉められるものではないのだが・・。もしかしたら、日本人の優しさというものは、個人の弱さ、差し詰め「自我の脆弱」ゆえのものかもしれないとさえ私は思う。

  しかし、そのような日本人の精神の機微は、人格の二面性にも見えて、欧米人には二枚舌としか考えられないようだ。
当初、日本人を相手にした米国人の営業マンの多くが理解不能でノイローゼになったということだ。商談が成立すると確信していたところ、全く逆の結果になったりして自信喪失、人間不信に陥るというものである。
 かつて、日本と対戦することになった米国が国をあげて日本人の精神構造を分析研究したことがあり、その成果が「菊と刀」という文献として著されている。その学説は世界的定番として今もバイブルのような存在として有名である。集団主義、個人の自我の二元性、義理と人情、恥の規範など、後の日本ブームの比較文化論の原点がそこには既に記されている。

 前にも云ったが、私は学生時代に第一次の日本論ブームに遭遇して、その手の書籍を読み漁ったことがある。それまで日本は世界一平和で全てに於いて優れた文明国だと信じていたのだが、疑問符の灯りが点灯して、それが消えなくなるのであった。
 相棒と出会ってから、私はちょうど絶好の話し相手を得たように、日々二人の間で日本人論の話に花が咲くのであった。
 彼は、私よりもずっとノンポリで、何時も聞き役専門であった。いい迷惑かと思ったら大間違いで、私の話に面白いほど喰い付いて来て、話は無限大に尽きないのであった。毎日のように名古屋の栄町の地下街を歩き回って、疲れたら喫茶店に入り、話が尽きず梯子となった。コーヒー一杯で居続けるのが気まずくなって店を転々とするわけである。
酒も煙草も無縁の二人は、コーヒーで大いに盛り上がり、それは楽しい思い出である。話は文化論だけでなく、恋愛論、映画論、写真論と、話題は尽きないのであった。その中でお互いの恋愛事情(?)の話が一番長いのは言うまでもない。
 アルバイト以外社会に出たことのない地方の二流工業大学の落ちこぼれ学生が、喫茶店やファミレスで無心に延々と社会や文化の論説を語り合う姿は、なんと滑稽なことであろうか。今から思い返しても、可笑しな光景であるにちがいなく、これはもう笑うしか救いようがない。しかしながら、そのお陰で、日本の社会に出て、アメリカ人のようにノイローゼにならずに済んだことは事実で、無駄ではなかったとは思う。

 とにかく、そのような曖昧な契約書に私が同意したのは、ここが日本で、他に選択肢が無く、異を唱えても建設的な結果は望むべくもなく、嫌われるだけと分かっているからである。要望(本音)は最初の日に伝えてあるので、そこは日本的な美徳の流儀に則って黙って引っ込めることにした。もしかしたら初日に既にもう嫌われていたのかもしれないが、そのような雰囲気は全く感じ取れず、寧ろそんな私を理解してくれているのだろうと思ったものだ。やはり私の本質は天性の楽天家なのである。そして、この問題も、必ず上手く解決できるものと信じて疑わないのであった。

「PPSは契約書に明記してある以上、5年間カタログからの撤去は不可能のようですね」
「契約書を破棄することはできないのでしょうか?」
「そうなると損害賠償を請求されそうなので、困ったものです」
「話し合いは決裂したのでしょうか?」
「そういうことですね。契約書の存在が大きいんですよ」
「僕は、あの契約書には問題があると思います。一方的すきで何かおかしいと思うんですが・・」
「そうかもしれないけれど、それにしても訴訟問題になってしまいますから」
「訴訟なんて嫌ですね。それしか手段がないのでしょうか?」
「私も訴訟は考えたくない。契約書には気をつけてサインしないといけないということですね。これでも日本は契約社会なんですよ」
「それは分かっていますが、日本が契約社会などとは、なんか腹が痛いですね」
「あちらに比べたら赤子のようですが、法治国家で、一応は契約社会なんですよ」

 社長がPPSと実際にどんな話し合いをしたかは分からないが、とにかく、どうしようもない厄介な事態になっているようで、彼の困った顔には尋常でないものが見てとれる。

「どうすれば良いんでしょう。カタログの契約だけそのままにする事は不可能なんですか?」
「本契約は完全独占ですから、それをもって全ての作品の販売権が本社のものになるのがあちらの常識、慣例なんです。
そんなおかしな契約書にサインしたのが非常識とも言われかねない。ああ、困ったなあこりゃあ・・・」
「すみません。一方的すぎておかしいと思いながらサインをした僕がわるいんです。その時はそこしか無いと思っていましたし。カタログが契約の障害になるなんて想像もつきませんでした。本当に申し訳ありません」
「私も想像できませんでした。撤去は常識のものと思ってましたよ」
「前例の無い事態には前例の無い対応があるんじゃないでしょうか?」
「そうなんですよね。特別に何とかならないか、私は本社に掛け合ってみようと思ってますよ。少し待って下さい」
「すみません。どうか宜しくお願いします」
 
 社長の表情からそれがけっして容易いことではないことが私には充分に分かり、周りには見たことのないような白い濃霧が何処からかたちこめてきた。そして、その霧は、忽ちのうちに社長の姿さえも見えなくしていた。
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