スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

③ポスト木原和人

「どうしよう。直ぐにオリンパスに電話して、木原さんのお悔やみを言わないとな・・」

 そのとき相棒は、東京のオリンパスギャラリーに、プロとして出発するための個展開催の審査を申し込んでいて、その結果を、名古屋の実家でじっと待っていた。
 木原和人は、そのときカメラをキャノンからオリンパスに持ち替えて、オリンパスが事実上のスポンサーとなっていた。
キャノンから鞍替えした事情は私の知るところではないが、とにかく車も写真も全てがオリンパスブランドになっていた。
 相棒は、純粋に木原和人に憧れて、追いつけ追い越せという気概で写真を撮ってその腕を磨き上げる日々だったのだ。
木原和人はレッスンプロよりも大御所作家へ移行するだろうし、そのポストがそのうち空くという予想はできるのであるが、
それを虎視眈々と狙っている若手カメラマンは、この辺りに無数というほどゴロゴロしているのは自明であった。
 そういう意味では、彼のとったプロへのアプローチは、私の亜流とはいえ、ずっと潔いものだった。

 「大丈夫かなあ・・。そんな大袈裟なことじゃなくても、ただのアマチュアの写真展として申し込めば良かったのかな・・。なんだか怖くてしょうがない。あああ、ダメかも・・。結果、なんだか遅いんじゃないかな・・。ああ、どうなってんだろ・・」
 
「俺の時は、最初から二週間と言われてて、三週間目に結果が来たな・・」
「それは聞いてないけど、今週がその三週間目になる。わっ・・こわっ・・」

 彼は、私がとった写真家としてのプロデビューの方法を、そのまま踏襲して、まったく同じようにオリンパスに相談を持ちかけて、一か八かの回答を待つことにしたのだ。
私と同様、写真界には何のコネもツテもなく、誰の紹介もない。ただ、地元名古屋のオリンパスには、修理の時などに何回か通ってて、私と違って社交性に富む分、たいそう顔馴染みになっていた。
 しかし、そのようなアマチュアは大勢いて珍しくないので、それが物を言うとは考え難かった。  

=================================
 
「いいんだよ。俺はとことんお前の真似して何処までも着いて行くからな。行くとこまで行ってやる。食べる物もやる事も真似をして、同じにしてたら同じようなことになるのさッ!」
 何につけて私の真似をする彼を揶揄したときに、相棒は、冗談めかして、そう言って笑って見せた。

 学生時代に出会ってからというもの、彼はずっと私の横にくっ付いてきて、離れようとしなかった。元来、独りでいるのが好きな私は、最初、鬱陶しかったのであるが、次第に慣れてきて、何処へ行くにも何をするにも、何時も二人という有様で、所謂「相棒」のような存在になっていた。
 基本的に独立心が強い性分の私には、有り得ないことの筈だが、それが不思議に苦痛ではなく、私に無いものを彼は持っていて、底抜けに陽気で明るく、冗談が好きで、社交性に富んでいる。おかげで毎日笑いが絶えない。私が冗談を言わないかというと、そうでもなく、彼に言わせたら「お前の冗談は俺のとは違って、リアルというか、腹の底から笑わされる。俺のなんか薄っぺらくて、話にならん」そうだ。
 「映画というものは一人で観るものだ」と考えていた私だが、いつの間にか映画館の隣の席には何時も決まって必ず彼が居る。映画によっては、気まずい感じになる筈のところも、構わなくなってしまったほどだ。
 観た後には、決まって喫茶店で映画評論に花が咲き時間を忘れた。私が一方的に映画論を語り、彼は専ら聞き役立った。それが何時の間にか政治や社会の時事ネタになって、最後は写真論となる。「この前の木原の写真どう思う?」と。

「お前は、本当は写真家じゃなくて、映画監督になりたいんじゃないかの?」
 けっして冗談ではない顔つきで唐突にそう言う彼に対し、私はあっさりと答えたものだ。
「じつはそうだよ。分かっちゃった?」
「写真家になりたいというのは嘘だったのか?」
「それは嘘なんかじゃない。写真の才能については確信を得たし、この分野は未だ未開の地なんだ。芸術としての写真、それ自体に可能性がある。俺は木原和人が好きだけど、お前のように作品そのものには憧れちゃいない。彼が追求するものの先にあるものが俺には見えてて、今、俺は、それを目指すことに取り付かれてるんだ。映画と違って、これは一人で作れるものだからな。・・そういうことだ」
 暫く静かに聞き入っていた彼は、真剣な顔つきで落ち着いて言った。冗談はない。
「俺はお前について行く。何処までもついて行く。一緒に写真家になる。そして俺も映画監督になる。何処まででもお前について行く。・・行ってやる」
「おいおい、映画監督はやめとけよ。調子に乗るな」
「いや、お前が黒澤明なら、俺は古沢憲吾だ。日本中ヘソで茶を沸かさせてやる」

まんざら冗談でもないような口調で話す彼は、何時の間にか乗ってきて、喜劇の構想を語り始めた。今は覚えていないが、それは荒唐無稽で、斬新で、思わず笑い転げた記憶がある。こいつはもしかしたら・・と思ったほどだ。

お互いが、無意識のうちに無くてはならない存在になたのは、いつしかレールの無い道を進むことになった二人にとって、それは極めて自然の成り行きだったのかも知れない。

「お前がペンタックスなら俺はオリンパスで行く」と言って、プロを目指す事にした時に彼が購入したのは、「オリンパスOM2」という一眼レフカメラであった。当時、世界最小最軽量を売りにしていて、特に、得意のズイコーレンズ郡の中でもマクロレンズを押していて、そのカタログには、木原和人の作品である花や昆虫のアップ写真が多数使われていた。
彼は、その時オリンパス専属のカメラマンとなっていて、ジュニア向けのカメラ月間誌「キャパ」なんかでは、創刊当初から「ネイチャーフォト講座」などという誌上セミナーで、特に大活躍をしていて、毎月彼の新作を見るのが二人の大きな楽しみだった。
 その時に何時も彼が手にしていたカメラはオリンパス製で、タイアップということだった。プロの仕事はメーカーとの関係は必須で、彼の場合、セミナーが主な仕事に違いなかった。事実上レッスンプロである。
 相棒は、その木原和人の写真と勇士に心底憧れていて「あんなふうに活躍したい」という単純なものだった。私は、そんな表面的な彼の動機について、少し不満が有ったが、そこは個性の違いだとして、そのまま彼を励まし続けた。

「木原のような写真を撮っても始まらないぞ。木原とは違う、木原を超える写真じゃないと」
「分かってるよ。俺はこう見えても馬鹿じゃないんだ。今に見てろよ、木原和人。そろそろ世代交代だ。写真も古い。今は誰でもあのくらいの自然写真なら撮ってるんだからなッ」 
「お前は木原和人。俺は前田真三。そうだったからな・・」

---------------------------------

 私は木原和人に対しては、写真そのものよりも、その孤高ともいえる人物像に興味があって、尊敬すらしていた。雑誌の会談などで垣間見れる特別な個性の強さなに漠然としたものながら憧れていたのだ。
 私が最初に憧れた写真の作者は前田真三で、木原とは全く違ったフィールドで活躍していて、カメラ雑誌等のアマチュア相手の写真指導は一切せずに、主に企業カレンダーに作品を高額で提供していて、それだけで年商一千万を超えるという憧れのビジネスモデルの存在を、私に示してくれていた。
 彼は風景写真が専門分野だが花も撮る。年齢は木原和人よりも二周り以上だが、プロになったのは遅く、一流商社を突然辞めて独自の資力でのし上がった異質の作家だ。孤高というなら、こちらの方が上かも知れない。しかし、資産家なので、あまり人物的に憧れるようなことはできず、ただ、その絵としての完成度が高い作風に憧れていた。風景を独自の感性でデザイン的に切り取った作品が、当時の日本では斬新だったのだ。
 そして、写真そのものの可能性というものについて、それが私に目を開かせてくれたのだった。木原和人が現れる、ほんの少し前のことである。
  
 私は、その頃には35ミリのフィルムが物足りなくなっていて、ブローニーサイズに切替えていた。明らかに前田真三の影響である。最初手にしたのは、「マミヤM645」という世界で初めて6×サイズの上下が少し短くなったもので、ハイアマチュアには中途半端だとして余り人気が得られなかったものだが、軽くて小さくてホールディングが良いので、私はそれで充分だった。
いや、これがベストだとさえ思って、世のハイアマチュアの言うことなど、全く意に介していなかった。プロより経験も腕前も上だという彼らの存在自体に、私は何か疑念のようなものを感じ、その世界に自然に遠ざかっていて、アマチュアコンテストなどにも一切応募をしなくなっていた。

 この世界のハイアマチュアが如何にハイレベルであるかは疑う余地はなく、それは見上げたものであるのだが・・。彼らがプロを上から目線で見ている現状があり、プロよりもアマチュアの方が腕前が上というのが実際のようだ。
 それは、月刊の写真雑誌を一度めくれば一目瞭然で、口絵を飾るプロの作品と、アマチュアのコンテスト作品を並べて見れば直ぐに分かる。特に、風景写真などでは、偶然の自然現象を捉えたり、タイミングの機会に恵まれた地方のアマチュアの方が、地の利がある分恵まれている。コンテストで上位の賞を取るのは、そういったアマチュアならではの機会を捕えた作品が多く、審査員が「まいりました」と諸手を挙げて褒められる。
 とにかく、それは、プロよりも上手いアマチュアが存在するという、じつに珍しい世界なのである。

 私が最後に応募したのは「マミヤフォトコンテスト」で、ポジフィルム部門の入選だった。小さいが綺麗で立派な盾がもらえた。M645のマクロレンズで黄色い夏の花の上のキハラムシを撮ったカラーの自然写真だ。「花に憩う」という題名だった。思ったとおりの「絵」になっていて随分と自信があったので、ちょっと不満足な賞だった。審査員に佐々木昆という昆虫接写の第一人者が入っていて、自然写真部門の担当だった。その先生にとって私の「綺麗なだけの昆虫写真」がどう写って、どう評価したのかと、今になって想像すると、この結果には興味深いものがある。彼らのような、植物や昆虫の古参の生態写真家が、このように花や虫を綺麗に撮った写真を「キレイキレイ写真」と呼んでいる事を、後に知ることになり、それを思うと本当に面白い。「キレイキレイ写真」が何たるかを示すには充分な作品だったと思うからである。

 そのような写真の第一人者こそ、木原和人その人で、私達は、その作品に触れて、綺麗な「自然写真」という、新しいジャンルの存在と、その可能性というものに心を躍らせて、孤高のプロとしての彼の勇姿を、眩しく見上げることになるのであった。   
  「キハラムシ」とは、木原和人の作品によく登場するバッタの一種で、幼虫も成虫も足や触覚が長くて仕草が優雅でフォトジェニックだ。「ホソクビツユムシ」が正確な名である。どことなく彼の容姿に似てたりもしていて、よく見付かるし、私たちの間で、いつしかそう呼ぶようになっていた。

=================================

「馬鹿・・。考えてみろよ。木原和人の訃報をお前がどうして知ってるんだ?」
「それは、お前から聞いたからだよ」
「俺は上京してて、昨日ペンタックスギャラリーにたまたま行って、ホットニュースに出くわしたんだよ。そこの誰もが昨日その訃報を知ったばかりなんだぞ・・」
「お前から聞いたって言うよ」
「オリンパスは俺のこと知ってるのかよ。分かんないだろ。多分、業界でもペンタックス以外じゃ俺は未だ未だ無名なんだぞ。俺が誰で、お前とどういう関係かとか、説明するのか」
「説明するよ」
「それはやめておこう。それはやらない方がいい」
「どうして・・?」
「とにかくダメだ。それは未だ早い。それには未だ時期尚早だ」
「お前が何か困る事でもでもあるの?」
「バカ。お前だよ」
「・・・・」
「お前は俺と同じになって喜んでるけど、オリンパスや業界はどう思うかな?面白がって喜んでくれるか?」
「けっこう面白い話だと思うんだけど・・」
「それは、本当に二人ともがブロになれて、その時になら、もしかしたら珍しくて面白い話になるかも知れんが、今はそうじゃないからッ・・。」
「よく分からんけど、お前がそんなに言うんなら、そうなんだろう・・。やめとくよ。大体今までお前が言ったことで間違った事は無かったからな」
「とにかく、今の時点でお前がこのニュースを知ってるのはおかしいんだよ。新聞なんかにも載ってないし。それほどの社会性は無いんだよ。カメラ誌には載るだろうけど、月刊誌だから、早くても次の号の6月号か、それに間に合うかどうかも」
「連載してたキャパなんか追悼特集とかやるんだろうな・・」
「そりゃやるだろうね。・・とにかく、ちょっと待っておけって」
「6月号で知らせがあるまでか・・」
「いや、ちがう。オリンパスの結果が出るまでだ。それまで絶対に動くんじゃないっ」
「雑誌で報せがあってもということ?」
「そうだ」

 なんだか分かったような分からないような顔をして、ウンウンと頷いている彼を想うと、訃報を知ったからには黙っていられないという純粋な気持を尊重するべきだったかも知れないと思ったが、直感的に引き止めたのには、それなりの理由があったのも確かなことだ。

「じゃあ、いつ頃・・」
「そんなに慌てるなって。だいたいお前は今、オリンパスからの審査結果の報告を待ってるところだったんだよな・・」
「ああ、そうだった」
「だからさあ、たとえいくら木原和人の訃報を知ったとしても、お前の方からオリンパスに電話して、何を言うんだよ。・・『木原さんが亡くなるなんてショックです。お悔やみ申し上げます。ところで私がプロになる件ですが、そっちの方はどうなってますか?』・・とか言うのか。『木原さんの変わりに是非とも頑張らせて下さい』とか言うのかよ・・。喜んでるようにしか見えないぞ」
「まさか。ダメだダメだ。それはダメだ。みっともない。それは無い」
「だろ・・。だから、とにかく今はオリンパスからの審査結果をまってればいいんだよ。木原和人の訃報をお前が知ったとしても、それまでじっとしてろって。何も動くな。絶対に動くなよ。動いたらダメだ。とにかく我慢して吉報を待て。絶対にだぞ。絶対に・・」
「いつ連絡あるんだろう。このままなかったのして」
「そんなことはないと思う。今ごろ相当悩んでるのかもしれないな。ちょっと状況が状況だけに」
「まいったなー。なんか大袈裟な事になってたりして・・。怖くなってきた」

 私は、その時、ポスト木原を虎視眈々と狙っている若手カメラマンが、多数存在していることを知っていて、彼らが、その訃報を知って、お悔やみついでにオリンパスを次々と訪れる光景を思い浮かべていて、相棒には、そんな彼らと同じような浅ましい事をさせたくはないのであった。
 もちろん、彼の場合には、そのような下世話な下心があるわけではないことを分かっていたが、その純粋を理解できる人物が、この世界にどれだけ居るものか、分かったものではないからだ。それに、彼が提出した作品が必ず評価されるものと確信していたのもたしかである。木原和人の路線だが、明らかにそれを超えたものがあるのだ。私の指導の賜物と言ってもいいだろう。何故なら、彼がそれを何時も認めてくれていたからだ。

「ダメだこれ」「これは惜しい」「ダメだこれ」「これはいい」「これは凄い」
「きびしいなー」「けっこういいだろ」「そうかなー」「だろー」「「凄いだろ」

 何年もの間、一緒に撮影に出かけて、出来上がりを持ち寄って、そんな感じで私の家で品評会をする毎日だった。私は何時も厳しくて、残る作品が一点も無いことさえよくあり、厳しさには定評があったのだ。
 そして、ついに写真展の提出作品をセレクトする日が来て、一緒になって夜更かしをしたとき、「やったなっ!」と私は思わず大声で祝福したものだった。
 
 後日、オリンパスの現場において、数多くの若手が訪れて売り込み来るという光景が、実際に展開していたと聞いて、あのとき止めたことが正解だったんだなと思ったものである。
 そして、暫くして5月も終わろうとする頃、やっと、相棒の元に審査結果がもたらされ、それは吉報であった。

「森さん。覚悟はいいですか。木原さんの後を、宜しくたのみます」・・という。
関連記事
スポンサーサイト

コメントの投稿

非公開コメント

カテゴリ
最新記事
プロフィール

sagapo5614

Author:sagapo5614
写真集「四季の肖像」の作者です。
プロフィルや作品はこちらのHPをご参照ください。http://mfnpf.jp/
下記リンク【四季の肖像】からどうぞ

リンク
月別アーカイブ
最新コメント
フリーエリア
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

検索フォーム
RSSリンクの表示
FC2カウンター
QRコード
QR
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。