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⑲地平線

「そういうことで、企画の話はさて置いて、その前に、じつは貴方に紹介したい写真家さんがいるんですよ」
「そうなんですか・・。どんな人でしょう?」
「○○さんという自然写真家です」
「・・すいません。その名前を僕は知りません。勉強不足で」
「貴方よりも一周り上のキャリアのある年季の入った写真家さんですよ」
「先方には話してあって、ぜひ会いたいと仰ってます」
「そうなんですか・・それで、その人は此処に来られるのでしょうか?」
「時々来ますが、彼の事務所に一度行ってみるのもいいでしょう。色々と相談にも乗ってもらえると思いますよ」
「相談・・?」

  一通りの仕事が済み暫くして、そろそろ新しい企画をと思い、MIXAを訪れた私は、その日の社長の対応が以前と違って何処か余所余所しいことに気付き、得体の知れない不安を直ぐに感じ取っていた。
 十年ほどの付き合いの間に、MIIXAは本社から独立して単体の一株式会社になっていた。独立採算制の子会社ということだ。彼は「マイザ課の課長」あらため「マイザ(株)の取締役社長となって、当初の意気込みは目を見張るほどで私も次々と課題を与えられて大変忙しいことになった。本社ビルから飛び出して神楽坂の小さなビルに城を構え、晴れて一国一城の主となったのだ。

「このたびはおめでとう御座います」
「どうも、どうも、ありがとう。こちらへどうぞ」
 奥の社長室からおずおずと出てきた彼は、秘書に私の持参した小さな鉢植えの花を渡して真新しい会議室のソファーへ導いた。とはいえ、それはフロアの一角の小さなスペーで、本社のそれよりやはり見劣りがする。
「とうとう独立が実現したんですね。本当におめでとうございます」
「いやいや、体よく追い出されたんですよ」
  そう言う彼は微笑んでいて、それが軽いジョークだということが解ったが、私はそれに乗っかった。
「組織は何かと『出る杭は打つ』ですからね。打たれる前に飛び出したんでしょ」
「ははは、そういうことかも。あなたも出る杭ですもんね。ははは、ははは」
 社長になってどこか畏まっていた彼だったが、そのとき童顔の丸い屈託のない笑顔が彼に戻った。
 「僕には経営関係は解りませんが、カメラマンとして極力社長に協力しますよ。何でもお申し付け下さい。改めてよろしくお願いします」
 「いや、こちらこそ・・・よろしくお願いいたします」
 テーブルに額が付くほどに頭を下げてそう言う彼は、最初の時のそれと何も変わってはいなかった。そしてその時と同じように横には同じ部下が居て、同じように生真面目な顔で深々と頭を黙って下げていた。
 
 私のその日の不安の予感は、じつは会社移転を報せる葉書から始まっていた。用事も有って新居を訪ねると、そこには何か気恥ずかしそうな表情の社長が居て、移転の説明が何かしどろもどろなのである。同じ神楽坂エリアなのだが、駅からの距離が倍になったし、ビルも少し古いものにになっている。「広くなった」という事だが,言う程のものではない。テナントの賃料削減という事は誰にでも判るであろう。しかし、私は経営にはのータッチと決めていてたので、何も心配しないことにした。私に出来る事は、優れた写真を出来る限り提供する事で、せめて企画について知恵を絞る事と決めていた。(そのころ日めくりカレンダー等のアイデアが私の中には有って、準備を着実に進めていたりしていた)

「ではその人の事務所に覗います。事務所は東京ですよね」
「いや、沼津です。静岡の」
「え、遠いですね。こっちへいらっしゃる事はないんですか?」
「そこは出向くのいいんじゃないですか?相談に乗ってもらうのなら、つまり・・」
「相談って、企画の事ですか?」
「それも有るけど、カメラマンとして悩んでる事が有るんじゃないですか?彼は大御所ですから色々と悩話聞いてもらって、道が開けたりするかもしれないですよ。貴方の事に興味があると言ってましたし」
「へえ、そうなんですか。僕に興味が・・。これは何かの引き合わせかも・・。だったら何か楽しみになりますね」

 父譲でり本質が生来の楽天家の私は、途端にその聞いたことのない大御所写真家に対する楽観的かつ希望的観測をフル回転で巡らせて、その明るい未来を想い描くのであった。
 その写真家は「本物」で、それ故に「出る杭」として写真界では今一陽の目を見ないままでいる。私の写真集を見たり社長から話を聞いて、同じ「本物」同士の共感を持った。
「『本物が本物を呼ぶ』とはこの事だ」「きっといい事がある・・!」
 そして、それが幻想かどうか、いつものようにその裏返しの悲観論も巡らせてみる私であった。
「どうせ彼も『本物』じゃないだろう。正直で頼りない『良い人』で、共倒れするのがオチだ。期待なんかするんじゃない・・!」
しかし、私の『本物』の定義はハードルが高く、探すのが至難なのだが「もしかして・・」という期待は捨てられなかった。
 私はその時、若かった。

 その日は見事な青空で、白い雲がいい形で幾つか浮かび、東名高速を走る愛車のビッグホーンのモスグリーンが鮮やかに映えているようだ。オイルとフィルター交換をしたディーゼルエンジンが事のほか調子いい。
 カセットをセットして久しぶりに小椋佳の「地平線」をかけてみると、何時ものように目の前の道に新しい夢が広がった。
「これから本物に会って、本物の話をするのだ。本物が俺を引き寄せている。その人は木原和人を知ってるだろうか・・」

私の車のダッシュボードには何時もお気に入りの音楽を編集して収めたカセットが沢山入っていて、その主な物が映画のサウンドトラックや、ビデオ等から採録した映画の名場面、それから小椋佳の歌集であった。
 学生時代に編集した「スター・ウォーズ」や「ビッグ・ ウェンズデイ」などは何度聴いても飽きないほどに良く出来ている。セリフと音楽と効果音のアンサンブルが素晴らしいのだ。前者の完成度は言うまでもないが、後者には今も私の心を捕えて離さないものがある。青春と決別しきれないサーファーを描いた傑作でジョン・ミリアスの実体験だと聞いてその思い入れによるノスタルジーの哀愁には納得し、強く共感せずにはいられない。余談だが、当時アルバイト仲間に丁度一人のサーファーが居て、彼の夢がハワイに移住してサーフィンを極めることだった。「プロで成功するか判らないけど・・」など言とい、遠くを見る彼の瞳は輝いていて、人一倍真面目で実直な男であった。背が高くてイケメンなのに女性には不器用で失恋ばかりしているという。そんな事もあり、日本のサーファーに対しても私のイメージは大きく変わってしまったものだ。彼はハワイで幸福を手にしたのだろうか。もちろん私達はサーフィンには縁がないが、カメラを手にして山や草原に分け入る日々の姿には、彼等の波に挑み海に飛び込むあの勇姿に重なるものが有る。それは、大自然に身を任せて一体になりながら、己の存在を体感するように技を尽くす、という意味だ。

 高山植物の傑作を撮りに名だたる高山に登ることも何度かあった。ただし、私たちの場合それは「そこに山があるから」ではなく「そこに花があるから」である。よく通ったのは白馬山、次に北岳である。特に前者は日本一の高山植物の宝庫で正に宝の山だ。そして高山は木原和人も未開のフィールドであった。初めて臨んだ時の珍道中と山頂の花畑の感動は忘れられないものとなり、予想外のしんどさにも凝りず夏になる度に暫くの間その登頂が続いた。
 とにかく、来るべき本当の『おれの波』の予感を信じて、二人そろって、ひたすら自然写真武者修行の明け暮れだった。

 邦画では「七人の侍」がやはり秀逸で、聴く度に目が覚めて心が躍り「本物」を希求する魂が呼び起こされる。セリフや音声を満載したサウンドトラックLPが出ていて、それをまた編集録音したものである。「男はつらいよ」の名場面集も有って、長距離ドライブの時などには聴く度に笑え気分転換に持って来いなのだ。やはり黒澤明と山田洋二は特別だった。
 写真が無かったら、私は間違いなく両監督どちらかの門を叩いたりして、その山道を登っていただろう。或る日「影武者」の制作時にスタッフの一般公募が新聞一面に載っていて、それは間違いなくその山の登頂へと続く道標だった。登山ルートという意味では、そちらの方が明確でメジャーに違いない。迷わず目指すべきだったのだろうが、その時の私には既に写真の山への夢と憧憬があり、それを容易に捨てることがどうしても出来ないのであった。山の高さは段違いだが、二つの山はきっと稜線のどこかで繋がっているにちがいない。この山を極めた頃にその山の頂はきっと間近に見えて、そこには道標も有ることだろう。そう思うのもたしかであった。 「写真」が絵であると同様に「映画」も絵であることに違いはないからである。
 しかしながら、写真の道が道草などとは思いたくない。何を指して「登頂」と言えるかが分らないのは困ったものだが、体験や費やしたものの全ては必ず己の実になって、それが本当の「おれの山」を登るときの力になるに違いない、と思うのだった。
 学生時代に聴いた「道草」の歌詞がリアルに私の登山行に重なって驚くのであるが、やはり、そこには夢や理想を追う全ての若者に共鳴する真実が有るに違いない。若者は汚れた現実に挫折して傷つき、そして彷徨う。それでいい・・ということだ。

 小椋佳の歌は、1時間毎のテープに4分類して納め、それには「夢の旅路」「白い幻想」「一つの愛」「静かな伝言」というタイトルが付いている。小椋佳の歌は、そのように四つのテーマに別けることができ、それは「夢」「恋」「愛」「惑い」で、そこには青春と人生の全てが歌い尽くされている。そして全ての詩は意味深く、曲は優れてメロディアス。どれもが信じられないほどの完成度なのである。世界的に見ても、他になくインテリジェンス溢れたジャンル的にも希有な存在であるに違いない。
  小椋佳の世界を知ってから、私には他のどんな流行歌も必要なくなり、心に響かない意味が分かった。心の底には届くことがないという意味である。詩や曲がいくら心地よくても、悲しいかな届かないのだ。届く場所がちがうのだろう。「恋心や愛情、夢や惑いがそれぞれの作者の味で同じように歌われていても、多くの歌曲は心の真底にまでは決して容易には届かない。それらの感情や共感の大元である心の底の本質が何か・・それに気付いたとき、人は本当の共鳴というものが初めて得られるのではないか。聴く人の脳内補完や感受性によって届いたと思ってもはたしてそれは本当だろうか。届いた気がして安易に共鳴するのは空しくはないか。薄っぺらいと言えば語弊があるが、表面的であるからこそ大勢の人に容易に伝わって素早く共鳴・波及して行きもする。それらは充分に楽しく、切なく、哀しげで、充分に人々の心を癒したり励ましたりする。「それでいい」と言えばそれまでなのだが、はたして本当にそれでいいのか・・少なくとも私はそれでは心底満足し切れない。困ったものだ。
  小椋佳の歌(詩)は、どれもが全て本当に深い。そして、それは、普段に人が自らが気付かないほどの心の奥底に届く。もし、届かないとしたら、それは、その人が耳と心を充分に澄ませていないからだろう。或いは、そういう環境と習慣に恵まれていないせいかもしれない。とにかくその深さと歌(詩と曲)の完成度は只事ではない。

 世に美しい自然写真は数多くあるが、その美しさの理由、本当の意味を表現し得ている写真は少ないのではないか。
 それと同じ意味で、小椋佳の歌は、全てそれを表現し切っているようだ。そして、人が気付かないほどの、心の最も深い所に共鳴するのだ。
 
 知らされないまま小椋佳の真価に気付かない者が世の中に大勢居るとしたら、それは悲劇に違いない。とくに、若い世代に・・。それが心の底に届いてどれだけの若者が救われることか、計り知れないからだ。
 綺麗な花や自然風景の写真は沢山あるが、その感動が見た者の脳内補完によって満たされる事は少なくないだろう。そうではない写真。直接的に見る者の心の心底に届く写真。感動の意味、美しさの意味、その本質を描き出す写真。私が求めるのはそんな写真だ。

 私はずいぶん若い頃から流行歌には無関心だったが、歌や音楽への欲求は映画音楽によって満たされていて、そこにはじつに様々な歌や楽曲があり、どれもが世界的に一流の作家や作品にちがいなかった。毎日のようにステレオにサントラLPをかけて聴き入り満悦していた。【小さな恋のメロディ】のビージーズ、【卒業】のサイモン&ガーファンクル、【カモメのジョナサン】のニール・ダイヤモンド、というふうに心酔するアーチストには事欠かないのだ。【アメリカン・グラフィティ】でオールディズ、【アーバン・カウボーイ】でアメリカンポップス、【出逢い】ではカントリー、と色々なジャンルを網羅している、映画音楽のオリジナル楽曲にも目がなく、【ブリット】などはジャズの魅力満載である。ラロ・シフリンは【燃えよドラゴン】ばかりではないのであった。そういえば【鷲は舞い降りた】もドイツの軍人魂を描いた傑作で、哀愁が篭った勇壮な主題曲が耳に付いて離れない。ジョン・スタージェス監督の遺作だっただろうか。そういえば、私が生まれて初めて自分で買ったレコードが【大脱走】のシングルEPで、次に買ったのが【荒野の七人】であった。自分の部屋に初めて貼ったグラビアのポスターは【栄光のル・マン】のスティーブ・マックィーンであった。
 ついでに言えば、何を隠そう、私がカメラを買って最初に何を撮ったかというと、それは【大脱走】と【荒野の七人】の名場面なのだった。今では考えられない事であるが、近所に三番館の映画館があって、色んな特集を催したりしていて、中学・高校と私はそこに入り浸りとなり、館主と顔馴染になって許可を得て撮らせてもらったりした訳である。席の後ろに三脚を立てて望遠レンズで自分なりの名場面集を作ったものだ。観るのは何時もその劇場なので、映画パンフレットなる物の存在を知らないままであったのだ。或る日その館主にそれを知らされてからは撮影は止めて、その収集へと趣味が移行し、部屋の棚にはそれが何時の間にか満載となってしまった。
 更についでに言うと、私の自然写真への影響は、実は他でもない【ブラザー・サン・シスター・ムーン】の主人公が野の花畑で蝶と戯れるシーンが最初であった。バックで流れるドノバンの歌と相まってその美しい世界に引き込まれてしまった訳だ。
 私の場合、写真と映画はどうやら切っても切り離せないものに違いないようだ。

 私達の実際の夢の旅路は、何時も撮影地へと向かうハイウェイから始まった。名古屋時代は主に信州へ続く中央道がそれだった。経費節約のため二人は一台に同乗し、運転好きの私がドライバーで相棒が大抵ナビゲーターだった。高速に入って最初によくかけたカセットが「スタートレック」のサントラ盤だった。ロバート・ワイズが監督した劇場版第一作で、その重厚なテーマ曲に冒険心を掻き立てられたものだ。「存在の意味を求める」というテーマも壮大で、新しい自然との出会いに心をときめかせる私達の冒険の出帆にマッチした心躍る楽曲だ。もちろんそれは、二人の自らの才能をと可能性を信じて未知の出合を求める冒険の旅に他ならなかった。
 相棒の車で行くこともたまにあり、そのダッシュボードにはビートルズが満載だった。彼は無類のビートルズマニアで、彼の薀蓄によってその奥深さを知り、お陰で私もコアなファンになり、晩年のジョン・レノンに心酔したものだ。二人でアルバイトをしている時一緒にラジオで訃報を聞いた瞬間は忘れられない衝撃の思い出となった。

 未知との出合の夢の旅路は、本物を希求する若き魂の彷徨に他ならなかった。自然美の中にそれを見付けることは達成しつつも、覚悟していたとはいえ、己自信も含めて実社会でのそれはやはり侭ならず、まるで「道草」のような日々の空回りだが、それでも新しい出合に夢を繋ぐことに未だ飽きない私であった。
 振り返ると、地殻変動によって来た道は崩れ、頂上は無残に形を失くし、足元は瓦礫と泥濘だらけだが、未だ有る坂道の先には青空が見えている。その青さにはきっと意味があるにちがいない。

 その日も、新たな出合に高鳴る胸の鼓動を抑えながら、晴天の東名高速を走る愛車のエンジンとハンドルはあくまでも軽快だった。路の上に広がる空は、そのとき確かに青かった。そして雲は純白だった。
 私は、小椋佳の「地平線」が聴きたくなって、「夢の旅路」というタイトルを付けたカセットテープをダッシュボードから取り出した。
 
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