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23 ひときれの青空

 その日、東名高速の下り線はことのほか空いていて、座高の高いビッグホーンの運転席から見る前方の視界は良好だった。地平線の上に広がる空の青さと浮雲の白さが一際鮮やかに私の目に映り、これから会う人への期待が募る。あれ程までに他人に対する期待を捨てた筈だったのに、なんと性懲りもないことか。
  たとえその期待が幻想で、とんでもない勘違いだったとしても、私には絶望しない自信があった。 そして、そこに描いた理想は、あの歌のように「一切れの青空」として手のひらに残されることだろう。しかし、私はその時、その歌(「ひときれの青空」)をカーステレオにかけることをしなかった。

 想い返せば、本物捜しの旅の一歩は失望から始まっていた。想定内であったため絶望は免れた私であったが、客観的に今から思うと我ながら可哀想である。若い頃の自分が愛おしく思え、もしかしたら、今になってやっと私は自分のことを好きだと言えるかもしれない。
 プロになり上京して最初に契約したエージェントの社長の甥子の事は既に話したが、残念ながら社長もその例外でなかった。私が純粋すぎたのかどうか、今考えても疑問符が付く。
 紙ッペら一枚で訳の解らない完全独占契約を交わした後日、改めて私はその会社の事務所に呼び出され、見晴らしの良い窓際の椅子に座った。渋谷の道玄坂の真ん中にある白亜の古い高層マンションの最上階に事務所は在った。窓の外には中庭のようなテラスが有って開ければ直ぐにそこへ出られる。遠景も優れたもので東京のビル街が箱庭のように見えている。

「ちょっと狭いけど、ここで少し待っててね。彼女と話してなよ」

 社長の甥子は、そう言って、直ぐ前で同じように椅子に座っている一人の若い外人の女性に私を簡単に紹介した。どうやら彼は英語が堪能のようで少し驚いた。

「僕は英語なんて話せませんよ。全然ですから」
「いいからいいから。話してみなよ。とにかくちょっと待っててね」

 狭い部屋に二人は小さなテーブルを挟んで向かい合う形で置き去りにされて、否応無く目が合うと、彼女が私に英語で話しかけてきた。20代と思われる金髪のそれは可愛いくて美人のアメリカ人だった。G.I.Pは、外国の写真家の作品を日本に紹介する業務を主としているようで、その一端を垣間見る事になった。
 「此処は日本なんだぞ。日本語で話して来いよ」と思ったが、もちろん言葉にはならず、私の反発心は不発となった。それにしても、日本の女性には無い彼女のフランクな雰囲気に驚く私がそこにはあった。私の視線が彼女の目の奥に自然に届いて、それが自我へと行き当たるではないか。自我と自我が触れ合うことの何という心地よさ。これこそが想像に勝るカルチャーショックの真髄か。 そして意味も無く心が自然に通じる気がした。彼女には、日本人とは違う自我の佇まいというものが確かに備わっていた。私の自我が欲する何かが反応し、そして疼いた。思えば私の心の肝心な場所は実際のところ空白のままだった。

 そして、その時、棚上げにしてあった日本の集団主義教育と欧米の個人主義教育の正否につての問題が頭に落ちてきて、慌てて棚に戻す私であった。
 しかし、まるでそこに自我が見当たらないような手応えの日本人のそれとは違うものが彼女には確かにあるようだった。
 今も昔も、日本では、自我は主張するものでなく抑えるものであり、他人に見せたら恥ずかしい類のものというのが常識ということだ。教育上、個人主義という概念が利己主義と同義語である事からしても、それは仕方のないことなのだろう。自我を育てて主張し合う教育を、意見や個の違いを認めた上で共通項を見出して協調する社会を、やはり私は支持するのであった。

  早口で自然に話す彼女の英語はよく聞き取れないが、とにかく気さくな雰囲気に打ち解ける私であった。そして我流の英語をワザとゆっくりと発することにした。

「ホウェア・アーユー・フロム?」
「アイムアメリカ」
「アー・ユー・カメラマン?」
「イェス。・・ユー・トゥー?」
「ミー・トゥー。アイ・アム・ネイチャーフォト・カメラマン」
「オー・ビューティフォー」

 まるで恋が始まるかのように何時の間にか自然に会話が弾んでいることに驚いた私であるが、やはり「日本語で話せよ」という感情が頭をよぎるのを無視できない。

「ユー・ドント・スピーク。ジャパニーズ?」
「オー・ソーリー。・・アイブ・ベリー・リトルビット・ジャパニーズ・・スコシ」
「アイ・ハブ・ベリーベリー・リトルビット・イングリッシュ・ミー・トゥー」
「ノー。ユー・アースピーキング・イングリッシュ・ベリー・グー」
「いやいや、全然、全然っ」

 日本語でそう返した私の反発心に彼女は気付かないだろうが、知らぬ間に英語を喋って身振り手振りまで備わっている自分に気付いて至極驚いたものだ。

「何か話が弾んでるじゃん。藤田さん、行けてるじゃないの」

 そう言って話に割って入って来た社長の甥子は、彼女に何か書類を渡して、流暢な英語を喋りながら部屋の外へ連れて行き玄関辺りで別れの挨拶をするのであった。「あの紹介は何だったんだ?」「彼女は何者?」「自分の仕事振りを見せたかったということか?」・・デリカシーが感じられない彼のその対応に、私の猜疑心は一つまた増すことになった

「倉持さん、英語ペラペラなんですね。驚きましたよ」
「チョットあっちに住んだりしたら、誰でもそうなりますよ。大した事じゃないって。貴方も喋れてたじゃん」
「アメリカ留学ですか」
「うちは基本的に外人写真家のエージェントですから。必要に迫られて。社長の奥さんがあっちに住んでるんですよ」
「アメリカ人なんですか?」
「日本人だよ」
「ずっとあっちに?」
「ほとんどね。・・それはそうと、社長がもう直ぐ帰って来るから、それ迄もう少しここで待っててよ」
「はあ、社長さんが・・。そういえば未だ会ってないままでしたからね・・」

 社長の事はペンタックスの佐々木さんから個展の時に既に聞いていて、彼は日本で五本の指に入るやり手のエージェントリーダーということだった。当時その会場にも来ていたが、私用のついでという感じしかなく、紹介も極簡単なものだった。面識はその時に済んでいた。その甥が佐々木さんの友達で、紹介は彼で充分という事だった。見るからに社交性に富むチョイワル親父という井出達という印象で、キャスターの森本毅郎によく似ている。私はそのとき彼の軽さが目に映り、それとない違和感を覚えたのも確かであった。
 聞けば、最大手ライブラリーであるオリオンプレスから暖簾分けのように独立した数人の内の一人ということだ。ライブラリーが最盛期の頃、雨後の筍の如く増えた一つには相違ない。それぞれに特化した分野で異彩を放つエージェントの一つであって、そこは外人アーチスト専門ということだ。これからは国内の人材も手掛けたいということで、私との契約となった訳である。特別の紹介でもあり、幾つかオファーを断わっての独占契約である。
 いわゆる欧米の「レップ」というアーチスト代理人の存在に近く、その事を尋ねると「それでいいと思うよ」という回答だったが、その実際は曖昧極まりない不確かなものだった。 私の期待は既に薄らいだものになっていたが、曖昧の方がやり易いのならそうしてくれ、という心境だった。そして「レップが聞いて呆れる」という気持であった。
 口約束を信じる日本の美徳に甘んじようにも、この時代、その社会規範は既に極めて薄いものとなっていて、望みは儚いものだった。
 
「社長、来たみたいだね・・」

 そう言って、彼は玄関の方へ行き、何やら話しているが良く聞こえない。どうやらそのまま昼食に出掛けたい様子であった。

「藤田さん。昼メシ・・行きましょう。社長が奢ってくれるって」
「はあ、そうですか。・・それは有難う御座います。どうもすいません」

 社長は、一足先にエレベーターに乗って外へ出たようで、もう一人の若い男性事務員と三人でその後に続くことになった。先頭を行く社長は、やはりチョイワル親父の印象そのままだった。やり手だという噂には信憑性が有り、少し頼もしい気がしたのも確かであった。しかし、前に感じた私の違和感は、次の瞬間、決定的になった。
 私達の前を歩く後姿が妖艶な背の高いOLらしき若い女性に社長が突然近付いて行くので、驚いていると、彼女を通り過ぎてそのまま振り返って直ぐにゆっくりと戻って、おどけた調子で驚くべき一言を吐いた。

「だーめだー。やっぱり粉をかける前に顔を見ないとな・・。全然だったわ。・・しかし堪らん後姿だったよな全くもって」
「そうですよ、社長。女は顔ですよ。やっぱり・・」

 事務員は、まるで同意を求めるようにそう言って私と甥子の顔を見たが、余りの意外な出来事に唖然となっている私に表情さえ取り繕う余裕は無かった。甥子は私の驚きに気付いたのか、それは気まずい笑みを浮かべているようだ。私は全く笑っていなかったに違いない。
 「この社長は何なんだ?」「この事務員は?」「この甥子は?」「この会社は?」・・そして私の疑問符の点灯は、この日それだけに留まらなかった。
 これから向かう昼食の場で和やかに自己紹介をし合い、今後の付き合いを確認し合うのだろう。日本的な人間関係の構築がそれから始まるのであろう。「壕に入っては壕に従え」私は日本の諺を尊重するよう心に言い聞かせて社長の後を大人しく付いて歩いていたのであるが、それがどうも違うのである。
 入った店は昼食時で混み合う普通の中華飯店で、カウンターの空いている席に四人がバラバラに座る事になった。「これでは何の話も出来ないではないか」「今日は何の為の引き合わせなんだ?」「これでいいのか?」・・評判だという美味い筈の中華飯が、その日、私にはまったく味がしないほどに不味かった。
 社長は、一足先に食べ終わると、カウンターに向かい、代金を清算し、おもむろに私の所に近付いて来た。

「話は聞いてるよ。まあ、彼と仲良くやってくれたまえ。・・じゃあッ!」

 社長は、私の肩を軽く叩いて爽やな笑みを残してそう言ってあっさりと立ち去った。「ご馳走様でした」と御礼を言う間もなく、まるで突然孤島に取り残されたような気持の私に、それは少しも爽やかに映らなかった。私は何を彼に期待していたのだろうか。

「社長さん忙しい人ですね」
「そうなんですよ。まあ、セッカチですしね」
「ゆっくり自己紹介とか出来ると思ったんですが・・」
「ゴメンね。・・またあるよ。社長わかってるから」

 次に何があって、何がわかっているのか・・私にはやっぱりわからない。「これでいいのか?」「これでいいのだ」「私がこれで社長に失望をすのは早計なのか?」「早計ではない」・・彼の言葉の中に私の自問自答の回答は見付からなかった。
 女の尻を楽しげに追いかける社長の姿に幻滅する私はおかしいだろうか・・。「私は異常に潔癖症なのか?」「いや、そうではない」・・。
 その時、私に学生時代に読んだ比較文化論の本に著されていた大阪商人の或る日常会話が思い浮かんだ。それは・・「あんたアホやろ。わてもアホやで。ほな一緒に上手い事やりまひょなっ」というものだ。商売上の日本的な人間関係の機微を象徴的に示したものであるに違いない。それを好しとするかどうかは人それぞれなのであろうが、私には到底受け容れられないものだった。人は誰でも完璧ではないし、何事も一人で出来るものでもない。日本だけでなく、そんなことは世界中の誰もが解っている事なのだ。強い個人と個人が力を重ねる個人主義社会と、弱い個人と個人が助け合う集団主義社会、どちらが良いか・・。少なくとも、人の弱さは強さの裏側にこそ有るものの筈・・というのが私の意見だ。
 たとえば、特に世界野球などで、調子の良い先発ピッチャーを敢えて下げ継投の集団力で勝つ、という図式がよく展開されるが、如何なものか。そこには日本人の美意識による勝利の方程式が示されている。オールスターの顔見世ならともかく、そこに私は何か不自然なものを感じてしまう。好調の先発エースが終盤で実際に危うくなるかその気配を察して交代するなら理解でき、そして感動も本物になるのではないか。完封できる本物も霞んでしまう。そうして本物は次第に作り物へと成り下がって行く。本物は周到な集団監視によって育てられ、大抵の場合それは過保護の対象になって張子の虎となり、御神輿のように奉られる。
 強い個と、弱い個の、一体どちらを求めているのか、真に本物を育てる気が有るのか無いのか、私には全くもってわからない。
 各ジャンルにおいて、集団の原理にそぐわない強い個の才能の芽が、若くして摘み取られる様は想像に難くない。奇跡的な偶然か、余程の指導者・理解者に恵まれないかぎり、本物が出て来られない土壌がこの国には確かに有るのだと思う。
 今現在この世に表出ている本物は本当に本物なのか、張子の虎になってはいないか、評価が明確でない部分で曖昧の災厄に冒されてはいないだろうか。世を儚んだり批判するよりも順応して受容れる事に美徳を説く仏教的庶民思想が有る以上、難しい事かもしれないが、一人一人が最低限、常に、真贋を見分ける純粋な目を曇らせないようにしたいものである。
 
  そういえば・・相棒の集める裏情報には、下ネタもよく有って、有名写真家達の意外な一面に時々閉口したものだ。北海道在住の野鳥写真家Sの話には驚いた。自慢話のようだが何が自慢なのか私には未だに分からない。札幌の薄野の夜の接待の事である。若手や出張している出版社の編集部を引き連れて先頭に立ち、高級ソープへ繰り出す話てあるが、「入る前から自慢の一物をビンビンにして特攻して行くんだと」・・ということだ。
 その姿を創造して吐き気を催す私であったが、もちろんそれは、性癖というよりも、それが仕事上の接待や交流の現実だという点に失望の本質があったのは言うまでもない。
 
「○○さんも女癖が悪いみたいだぞ。主催する写真教室の女性会員、何時も美人の奥さんばかり周りに居るという評判だから。羨ましい家業だな・・という話だよ」
「あの野朗、華道教室の奥さんのお陰でやってられてるってのに、不届きな奴だな、それは」
「やっぱり写真家協会ってのは道楽者の集まりなんだよ」
「木原和人は違うんだよな、写真家協会に入らないままだし」
「そうそう。それだ。彼には全然その手の噂が無いんだよ。ミセスのファンなんて○○の比じゃないのにな」
「やっぱりカッコイイよ彼は」
「俺はその彼の正真正銘の後継者だから。俺だけかもな彼みたいに清潔な男」
「おいおい、誰かを忘れてるだろ・・」

 私はその時、「本物の恋愛とは何か」に対する確かな答を見出していた。最初、それは心の青空に描いた空論に他ならなかったが、丸善ちゃんの本当の気持が遂に分かった時、それは本能の体現ともいえる実感として、或る日、確信に満ち溢れるのであった。その恋愛が実際に成就する前にもかかわらず答が出たのだ。そして、それは想ってもいない結論だった。

「お前は丸善ちゃんを誰よりも幸せにできるよ。お前は彼女の本物の相手だ。間違いないっ!」
「ありがとうよ。でも、実際には未だ何も決まってないから・・」
「彼女も本物のお前の相手だよ。間違いないっ!」
「じつは・・彼女が俺の本物の相手だと確信した時、その先の世界を色々と想像してみたんだよ。そうしたら、今迄に想ってもいなかった感覚が沸いて来たんだ」
「へーえ・・」
「地に足が着いたような感じというか、何と言うか・・」
「それまではそうじゃなかったんだな」
「そういう事だ。人間はこうでないと駄目なんだと思ったよ」
「本物の恋愛とか、わかってたんと違うのかよ?」
「ああ。だけど、それは仮説というか、想像の世界でしかなかったからな」
「未だ想像なんじゃないの?」
「だから・・それが物凄く現実味を帯びて・・初めてのことなんだっ」
「あ、そうか、それは意味がありそうだな」
「意味ありすぎなんだよ」
「本物の相手が見付かったら、もう恋愛で苦労する事ないし、そりゃそうだろな」
「そんな単純な事でもないんだよな、それが・・」
「どういう事だ?・・分かった。一生浮気とかの必要も心配もないって事だろ」
「その点で言えば、そのとおりなんだけど、それがチョット違うんだ。・・恋愛が成就したら、誰でもそれを信じてそれを誓う訳だけど、それは、約束というか、我慢というか。規律というか、道徳とか、あくまでも観念的なものだと思うんだ」
「それで駄目なのか?」
「駄目とかじゃない。誓ってそれを守るのは充分に素晴らしい事さ。・・だけど、本当の本物の恋愛の成就となると、話が違ってくるということなんだよ」
「何が違うんだ?よくわからん・・誓い方が強いということか・・?」
「そうでもないなっ」
「どういう事だよ?」
「たぶん本能なんだよ。本能が浮気も何も必要なくする。する気が全くしなくなる。他の女に全く興味が沸かなくなる。性欲も。・・そういうことだ」
「そんなバカな」
「本当だ。生理的に受け付けなくなる」
「生理的に?」
「倫理的にじゃないということ。つまり本能的にということだ」
「お前はそれを体験したのか」
「体験した。・・と言っても過言ではない」
「羨ましいな。体験できて。ちょっと想像できんなこれは」
「例えば、人は親や兄妹に性欲を感じないだろ。・・それと同じと思えば解る。お袋さんを想像してみろよ」
「おえーっ。気持悪いこと想像させるなっ」
「それそれ。・・それが人間の本能というものだ」
「なるほど。本物の恋愛でしか到達できない境地かもしれんな、これは」
「だと思う。俺も初めての感覚なんだよ。驚いてるんだ」
「本物の相手かどうか。これでその見分け方がわかったなっ!」
「そうかもしれんっ」
「これは、ジョン・レノンを超えてるな。・・ひょっとして」
「いや、彼はそれを体現してるんだと思う。とっくの昔に」
「だけど再婚なんだよな・・」
「人は時に誰でも相手を間違えるってことだ。間違えないに越した事はない。何かの成り行きや、なんとなく好きという曖昧な恋愛でそれが出来たら、それこそ、それは奇跡に近い。本物じゃない事に気付かないままというのも不幸な事だよ」
「それにしても、本物の相手って、捜すの難しよな」
「そうは思わないね。本物だったら自然にインスピレーションが反応するから」
「本物のインスピレーションということだな」
「そゆこと。それを研ぎ澄ませるんだよ。本物だったら間違えるわけがないっ」
「お前は間違えてないよ。彼女はお前の究極的に最後の相手だ」
「そういえば、演歌の名曲で『俺にはお前が最後の女ー!』というのがあるけど、あんたいったい何人間違えたんだよと。それとも、今迄は女遊びだったのか?・・本当にそれを誓えるのかも怪しいな。本能からの叫びなら別なんだけど・・そんな感じじゃない。大声で自慢げに叫んでるあたり無理してるとしか思えない。本能だったら、それはもう極自然にそういう気持になるものだから」
「お前は、その境地に達したんだな」
「いや、未だだって。・・一瞬だけど、そんな気持を実際に初めて体感しちゃったということさ。彼女の本当の気持が判った時に一瞬。それ迄はやっぱり半信半疑だったから・・。これはたぶん本物の恋愛の成就を体験しないと味わえない感覚なんだと思う」
「それはすごいな。心霊体験みたいなもんか?」
「近いものがあるわ。何かの壁を突き抜けたみたいだったよ。幻想的だ」
「幻想じゃないよ。それは絶対にそこにある別世界だよ」
「少なくとも彼女のお陰で俺はそういう世界が有ると知ったんだ。人間の本能は良く出来てるってことだ」
「なるほどねー」
「それから、まだある。本当に好きになるのは、成就してからなんだと思った。もしかしたら、自分のことよりも好きになるかもしれない。たぶん、『好き』の意味が変わるんだろう。その予感があるから好きなるのかもしれないな」
 
  青空に描いた私達の取り留めの無い本物談義の空論は、しかし実社会で次第に現実味を帯びて行き、この日も一つ、垣間見た現実の理想像として、灰色の雲間から顔を出した「ひと切れの青空」のように、私の手のひらに残されるのだった。
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写真集「四季の肖像」の作者です。
プロフィルや作品はこちらのHPをご参照ください。http://mfnpf.jp/
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