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25 夢の行く先

 「鬼の首を獲る」そんなワードから始まったといえる私達のこの夢の旅路だが、一方それは初めから「鬼退治」の様相も暗示していた。怖いもの知らずの私達は、それを楽しみにさえしてその冒険に胸を弾ませ挑んだのである。
 そして、その鬼の正体は、やはり「曖昧」であった。それは学生時代にブームで読んだ日本比較文化論からの集約ワードで、いわゆる「日本病」といわれるこの国の隅々に蔓延る病のその病原に違いない。

 鬼の首とは、つまり、日本特有の企業カレンダーのことで、そのコンペティションは写真家にとって花形といえるビジネスの活躍舞台に違いなかった。とくに絵画やイラスト等各種アートの作家単位で纏められたそれは、作品集ともいえる立派な美術出版物だといえる。写真家では前田真三がその第一人者で、彼の存在なくして私は写真家を志してはいなかっただろう。そして私は、彼が目指す写真の「その先」を見据えるようにして、日々作品作りに勤しむのであった。
 それにしても、相棒とのあの時の無邪気な会話がまた懐かしく思い出される。

「ほほう。面白いや。鬼の首を獲るんだな。俺たちのやるべきことはそれなんだよっ」
「鬼が島に鬼退治に行くんだっ!・・お前が桃太郎で、俺は犬ってところだな」

「鬼の首を取るような事を言っとるな!」と罵声を浴びて私のその挑戦は始まったのだ。そして、上京して三年で早くもそれを叶え、それから毎年それが続くことになる。若くしてレッスンプロの道を外れることで、周りからは「天狗になっている」などという声が聞こえたが、私は意に介さず、ひたすら我が道を行くのであったが、実際にはそれどころではないのであった。それは、何時までも本当に一人前のカレンダー作家になったという認識が掴めずにいたからだ。

 (今は無き)企業カレンダー市場の実際は、主に大手印刷会社数社の間で繰り広げられるプレゼンテーションの入札合戦(コンペティション)で、その絵柄を提供するアーチストとライブラリー、それを形にするデザイナー、それらを束ねるコーディネーターやアートディレクター等が絡み合って、毎年お祭のように春から秋にかけてそれは盛大に催される。何百という企業がそれぞれ綺麗なカレンダーを制作し、大手は複数種出し、Y.I.P用なる高級品も有る。そして毎年末に数々の賞が作品に選出授与される。(しかし、その受賞者はアーチストではなくて、そのカレンダーの企画制作者ということだ。写真家がその受賞を経歴に記しているのをよく見かけるが、それは少し違う違う気がする。写真の場合とくにデザイナーがトリミングすることが多く、絵画と違い「素材」として扱われていることが否めない。)
 とはいえ、それが日本のコンペであるからには、はたして其処でどれだけ真剣な競争・取り合い合戦がくりひろげられているか、少々疑問だ。
 一つのクライアントの案件に対して、各社がそれぞれ何本もの提案を出し、それが何百という企業であるので、プレゼン(代金)だけでも膨大な数(金額)になり、それはもう他に類を見ないほどの大きな規模のマーケット、コンぺティションに違いない。

 そして、私が一人前の自覚がなかなか出来ない理由は、その決まり方にあった。実はその大半が、そのようなコンペによるものではなく、それを経ない直接の依頼や、「持物」(プレゼンではなくその印刷会社に持回りで初めから決まっている案件)ばかりだったからだ。「作品がお役に立ってコンペに勝った」それで初めて喜べて、一人前のカレンダー作家の自覚も生れるのではないかと思うのだ。そうでないと、そもそも印刷会社とアーチストの間の営利的ビジネス関係が極めて不明瞭なものになり(もちろん「写真がお役に立つ」ことは同じで、喜ばしいのだが)、競争原理の外の事なので、そこではビジネスとしての真の充足感が得られない。
 某印刷会社においては、幾ら作品を提供して預けても、「持物」はおろか何のプレゼンテーションにも乗せてもらえずに終るばかりで、その理由が全く解らない。同じ年度に複数の印刷会社でコンペに採用される事はまず無いのかもしれない。ある印刷会社のデザイナーが作家単位のカレンダー採用結果の全てをノートに綺麗に纏めているのを見たことがあるが、何か気味悪い感じがしたものだ。実際に複数のそれを決めている写真家は極めて少ないのであった。尋ねると、「これは御見合のようなもなので良い相手が見付からなかったということです」という回答が何時も異口同音で帰って来る。競争と恋愛を良しとする立場の私には、全く相容れない世界がどうやら其処には有るようだ。
 鬼の首を幾ら獲っても、その本体は、まるで掴みどころの無い化け物のようだ。
 
 レッスンプロの一方のトーナメントプロの舞台がカレンダー市場だとしたら、そこでコンスタントに活躍して賞金獲得を重ねるにはどうしたらいいか、それが何時まで経っても全くわからないままなのだ。そこに競争原理が働かない世界があるとしたら、この不安定感は救いようがないことになる。つまり、私には天狗になるなどという余裕はどこにも無い訳であり、それどころの騒ぎではないのであった。

 作品を認めて「持物」に採用してくれたディレクターの存在は貴重なのだが、その人を頼りにし続けるのは困難だ。実際に「三和銀行」の時、そのディレクターは二年目でカレンダー部から外れてしまった。なんとも危ういビジネスコンタクトであることか。第一、私がいくら感謝をしても、その人がどれだけ嬉しいかが解らない。それによって私には高額の使用料が直に入ることになるが、その一方で、印刷会社の一社員である彼に齎される恩恵は如何程か。年功序列の給料以外の金銭的利益は発生するとしても些少の報奨金だろう。それによって得られる仕事の評価も如何程なのか解らない。その彼は、他のVIP物カレンダーで大きな賞を獲って表彰され、翌年「卒業」して撮影スタジオに移動している。因みにその時の絵柄のアーチストは版画家だった(私の真のライバルは写真家ではないということである)。
 それが他社とのコンペティションの結果であれば、そこに生じる両者のビジネス関係は極めて明確であり、競争の不安は有るものの、少なくともそのような気遣いやそれによる心労などは必要がない。その場合、利益は違っても、他社から獲ったことによる恩恵を分かち合い、共に勝利を喜び合う事になるからだ。集団主義談合社会よりも個人主義競争社会の方が自然で楽だという理由がそこにある。

 もしかしたら、その人は私にとって貴重な理解者で、余計な裏がない本物の類といえる人物だったのかもしれない。本物とは、なんと頼りない危うい存在であることか、折角ながら、私はどうしてもそこに失望感を禁じえないのであった。

 また、相棒はカレンダーに興味が無いのかというと、けっしてそうではない。私と同様、最初からそのコンペには参戦していて、結果が得られないということだ。作品を持ち込む方法も私と同じで、毎年春そのコンペが始まる頃に各印刷会社のカレンダー部にアポイントを取って担当者に見てもらい、暫く預けることになるというものだ。会議室においてそれ自体のプレゼン(売込)の場が設けられる事もある。そして後は吉報をひたすら待つことになる。その間とくに何もしないでいるのは私と同じだ。これについては、私を出し抜くのが嫌なのか、そもそも敷居が高いのか、同様に「今年こそは」と新しく作った自信作を見せる事が努力の全てなのである。
 何処か企業のプレゼンテーションに乗ればその連絡があり、可能性が一段進むことになる。それすら何の連絡も無いままシーズンが終了する事も多かった。
 プレゼンに乗れば、プレゼン使用料が発生するが微々たるものだ。それだけでは到底喜べず「落ちた」という残念感は只事ではなく、それは「宝くじ」の比ではない。

 彼は、何年経っても結果が得られず、よく我慢していられるなと感心するが、或る日、ついに彼がその欲求不満を爆発させた事が実はある。私に追随するように彼が二回目の個展をオリンパスで開いた時、某印刷会社のディレクターが突然来場し「カレンダーのプレゼンに・・」と言われ、写真を預けたのだが、結果は・・「残念ですが落ちました。これに懲りずにまた来年お願いします」というものだった。それに対して彼は・・「懲りずにとはなんだっ。頼んだのはそっちじゃないか。いいかげんにしろっ!」と切れたのだった。その経緯を私に話し、「切れちゃったけど拙かったかな?」と言うので、私はそれに対し「お前の方が正しいよ。切れても当然だと思う。誰もが大人しくしてるのがおかしいんだよ」と返答したものだ。その次から彼がその門を叩くことが無かったのは言うまでもない。その切れた日は、折りしも台風が東京を直撃していて、その怒りの迫力の様が想像できて笑ってしまう。私は彼らしいその有様に想わず笑ってしまった記憶が残る。しかし、その何年も後、その印刷会社から依頼があって、「持物」のカレンダーが決まるのであった。彼の爆発が無駄ではなかったということか。上場企業ではなかったが、見ればそれは綺麗な12枚物の立派な壁掛けカレンダーだった。ついに彼も鬼の首を獲ったのだ。何にしても、彼は次第にその市場には興味が薄れ、或る驚くべき情報を聞くに至って、一切ノータッチを決め込むことになった。談合体質という意味では私の想定内のことであったが、そのシステムは予想をはるかに超えたものだった。中に入り込んでそれを聞き出した彼は、その上で上手く付き合えばいいものであるが、そこまで馬鹿になる気はないということだった。彼も私と同じ本物志向を持ち合わせていることに違いはなかった。

 或る年の9月に、相棒と撮影を同行した際、留守電に何か入っているかもしれないと、秋めいた高原の片隅の公衆電話に立つ彼の後姿の横で虫の音が寂く鳴る光景が、私の耳と目に今も哀愁的に残って消えない。

 聞けば、木原和人も其処では結果が出ず仕舞いだったという。彼も印刷会社のカレンダー部に自作の自然写真をよく持ち込んでいたということだ。そこで、ちょっとした言い争いのような事があったらしいが、それがどんなものか私には想像がつく。「この写真がカレンダーに使えるかどうか」・・最高責任者に直談判をしに行ったということである。私も実は同じ所で同じ事をしていて、同じ人物に「勘弁して下さい」と言わしめてしまったことがあり、それを後に知ったとき無性に嬉しくなったものである。
 だが、彼の場合、レンズメーカー等の企業から直接依頼で時々何本かのカレンダーが決まっていたようだ。しかし、それにしても、トーナメントプロに成り切れない欲求不満は、彼の精神から消え去ることはなかったであろう。
 
  私が早くして企業カレンダーが決まったのは、最初に出した写真集の成果に他ならず、それに冠された有り難い秋山庄太郎先生の序文のお陰に違いなかった。書店でそれを手にした或る広告会社のデザイナーからの直接のオファーであった。クライアントは「興亜火災」で「小さな四季」というタイトルが付いた12枚物の綺麗な卓上カレンダーになった。そこは極小さな広告会社で、それが唯一の得意先カレンダークライアントということだった。休日にアロハシャツに半ズボンという私服で私の自宅をそのデザイナーが訪れて写真を預かりに来た。終始にこやかでフランクな彼は、私と同世代ということで直ぐに意気投合という感じになった。写真とは関係のない話に花が咲き大いに和んだものだ。「友達になりたいのかな」と思うほどの親近感だが、その時すでに私はそこに有る違和感を何か感じ取っていた。

 何時もの事だが、「この人とこうして親しくなれば今後いい感じで仕事が継続できるのだろう」と解っていても、私の違和感はどうしようもなく消し去れないのだ。 したがって、自分の方から積極的に親交を図るモチベーションが働かない。「そんな事より先にもっと肝心な話が有るだろう」「つまらん余計な話はどうでもいい。するにしても後にしてくれ」と言わんばかりだ。まさかそのような事を口には出さないし、必ずしも無愛想ではないのだが、社交的には程遠いものがある。そこはかとなくそんな雰囲気がやはり私からは自然に醸し出されていたかもしれない。

 ちょっと解り難いだろうが、物事には順序というものが有り、それがアベコでは困ると思うのである。本質や真実を後回しにして、棚の上に上げて物事を進める慣習がこの国の文化には有って、私はそれを良しとしない立場なのだ。親交や付合いは仕事の後にするものであり、決して先にするものではない、という拘りが私には何時も有るのだ。それを指して「付合いがわるい」と言うのなら、それで一向に構わない。「つまらない男」と言うのなら確かにそうだろう。しかし、私が本当につまらない堅物男かどうか、少なくともそれは相棒に訊けば答は自ずと出るだろう。話好きの柔軟性に富む稀に見る面白い男だと証言してくれるだろう。

 それにしても、私には、やはり営業面を全面任せられるマネージャーが必要のようだ。所詮アーチストなる者は独自の拘りとプライドを持ち合わせるものであり、それを上手く束ねるエージェントがこの国には未だに見当たらないのが残念である。有ったとしても、それ自体が本質を後回しにするアベコベの社会であれば無いに等しい。本物の才能が其処では日常的にに見過ごされたり、過保護のもとに本物も張子の虎に成り下がって行くことにもなるだろう。

「お陰で今までで一番いいカレンダーが出来ますよ。ところで、使用料ですが、ご希望があれば如何程かお聞かせ下さい。出来る限り対処しますので」

 私とすっかり打ち解けたアロハシャツのそのデザイナーは、一通り充分なほどの雑談を終えて、写真のセレクトも済ませ、本題を切り出した。

「お話しましたたように僕はカレンダーはこれが初めてで、前例が無くて料金体系も特に作っていないんです。だから何時も僕はケースバイケース。私の方がご希望をお知らせ願いたいです。前例が有ればそれを参考にして頂いて構わないですよ」
「前のケースは、ここのところずっと知合いのカメラマンが物撮りした陶器や仏像の写真で、参考にならないんです」
「それにしても、カレンダーの場合、ライブラリーの値段表にもその使用料が表示されていて相場が有るのでは?」
「いえいえ、僕はライブラリーに無い写真ということで藤田先生の作品に目が止まって来たんです。そんな価格では申し訳ないです」
「無理しなくていいですよ。損をしない程度にして下さい。お任せしますから」
「そうですか。そう言って頂ければありがたいです。持ち帰って検討しますので、決まり次第お知らせしてご提示します」

 本当のところ、このような値段交渉の場面において、じつは私には取って置きの決めセリフがあった。それは・・「作品に見合った価格を決めて頂けばそれで構いません」・・というものだ。
 そして、一度、実際にそれを言う機会が有って、どうなったかというと・・相手が忽ちパニックになってシドロモドロな口調で「これで勘弁して下さいっ」と破格の使用料を提示して、それっきりになるのであった。何処か知らない新興宗教(?)の月間誌の表紙で、自然の素晴らしさについて長い文章付きの依頼であった。宗教に関わりたくない思いもあって、それを作品の評価と考え、ありがたく受取ったのだが、あまり良い気持はしなかった。それは確かに駆け出しの写真家には法外の使用料に違いなかった。
 私は、あくまでも謙遜して任意に任せようとしたつもりなのだが、そうは取ってもらえなかったようだ。それ以来、この言葉は使わない方が良いと心したものだ。なんという恐ろしい決めゼリフなのか、今考えても笑えるほどだ。

 その時のアロハシャツ氏にはそれを言う必要は無かったが、それに近いものが其処には有った。そして彼が提示してきたものは、ライブラリーにおけるRM企業カレンダーの最高値であった。例年の倍という事で相当頑張ったということだ。
 そして、その付合いはその年だけの事になり、それが無理な価格が原因なのか、私の付合いが足りなかったのか、今となっては解らないままだ。
 しかし、彼の私の作品に対するリスペクトは本物だったと信じて止まない。彼は正真正銘「いい人」だった。しかし「本物かどうか」・・それにはやはり残念ながら疑問符が付く。私が求める「本物」はなんとハードルが高いのか・・。私は若くて、それを引き下げることを知らず、何時も遠い目をして地平線の上の青空を飽きることなく見つめていたのだ。

「お前は本物に出会えたのか?俺は未だだよ・・」

 そんな事を言って吐き捨てる相棒なのだが、その言葉にはそれなりの根拠と信憑性が有った。私と違って社交を尽くしこの山の隅々を縦横に歩き回って働く彼は、私の何十倍もの人々との出合を果たしているのであった。お陰で私は、彼によって、色々な情報を労さずして得ることになった。カメラ雑誌よりも早い新製品の情報や写真界の情勢など、興味深いものが多く有る。
 その情報源の一つに、面白い場所が有った。それは銀座にあるキャノンサロンの夜の集まりだ。そこでは毎日のようにカメラマン達が酒や肴を持ち寄って所長を囲んだ楽しい(?)夜会が開かれていた。私も一度彼に連れられてそこを訪れたことが有るが、それは想像以上に明確な日本的な社交の場であった。私は一瞬の間に場違いと知り足が逆を向いてしまった。

「おう、藤田さんか、噂は彼からも聞いているから、よく知ってるよ。やっと来てくれたねえ。まあ、先ずは一杯やってくれ、此処は何でも無礼講だから、遠慮は要らないよ。皆、本音で毎日ワイワイ楽しくやってるからね」

 そう言って、瓶から注いだビールのコップを差し出す所長の顔はもうすっかり紅くて上気している。その満面の笑顔には人の良さが覗えるのだが、それが酒のお陰だと思うと呑む前から醒めてしまう私であった。

「ありがとうございます。すいません、頂きます」

 快くコップを受け取った私に安心したような彼は、それでも私に対する何か懐疑心のようなものをその目の奥に漂わせていた。それが何故か・・私には容易に想像が付いた。「付き合いが悪い」「とっつき難い」「話が重い」そんな私の噂はペンタックスの外にも当然広まっていた事を知っていたからだ。そして、私は、その一杯を不味そうに飲み干して、彼の予想どおりの期待に答えることにした。

「僕は、ビールを何杯呑んでも酔わないんですよ。ちっとも紅くならないし。面白くないでしょう?・・だけど、シラフで何でも話しますよ。じつは僕はこう見えても話好きなんです」
「へえー、ザルなのかい。それは頼もしい。酔い潰れるまで付合うよ。まあいいから呑みたまえ。肴もホラ、このとおり色々あるから」
「そんなに呑んだら身体に良くないから遠慮したいです。僕はシラフでお付合いしますよ」

 その時の彼の表情が鮮やかに今も私の目に浮かぶ。目の奥に潜んでいたものが一気に外に現われて笑顔が消えた。そして一ぺんの間に不機嫌になり、無言ながらも、それはもうあからさまだった。
 今に始まった事ではないし、この所長に気に入ってもらう必要性もない。此処はキャノンサロンで、そもそも私はペンタックスのプロ登録カメラマンなのである。この種類の人は私が敢えて忌み嫌うタイプに相違ない。つまり、私が求める本物にも程遠い。此処はこれで御仕舞ということで構わなかった。噂どおりで本望なのだ。
 其処がカメラマン達の情報交換の場であることは違いないのだが、彼らが勤しんで足しげく顔を出すのには、もう一つの動機付けが実は有るようだ。それは毎年必ず発行されるキャノンの企業カレンダーで、12枚物の大型壁掛けタイプのそれは立派な代物である。ペンタックスは、何故か何時も外人の写真家を採用しているが、キャノンは邦人なのだった。したがって、つまり誰もが何時か自分にお鉢が回って来る事を期待して止まない。それには此処で先ず所長に馴染んで気に入られる必要がある。そんな連中に囲まれて夜毎に宴を催す所長はさぞ気分が良いことだろう。其処に私が社会の縮図を見るのは早計だろうか。
 そういえば、木原和人にはキャノンからオリンパスに鞍替えした経緯があるが、その理由が何か・・私には解った気がする。また、彼が一度もそのカレンダーに採用されなかったのが不思議であったが、その謎も解けた気がする。

 彼は、この山で、何を求めて彷徨い、何を見付けて、何を成し遂げたのであろう。そして何故・・。そんな疑問が丁度そのまま私自身に重なって、自問自答することになる。いったい私はこの山で何を成し遂げようとして何を彷徨っているのだろう。
 この夢の旅路の本当の行き着く先は何処で、そこには何があるのか・・。想像はつくが、それにしても、この世界の手応えのない虚しさはどうだ。夢も遠退く。本当の手応えなどというものは、所詮ここには望むべくもないないということか。
 今現在、旅は途中に違いなく、したがって、その回答は未だ出すことは出来ない。また、今に至る冒険の旅の全容も未だ語り尽くしてもいない。そこには「事実は小説より奇なり」という話が未だ沢山あって、何時か語りたいのは山々であるが、それは必ずしも楽しい話ばかりではないし、バブル崩壊の災厄や旅の下山の冬山でクレバスに落ちた話など時にリアル過ぎて今話すのには聊か抵抗がある。できれば、この話の行方はハッピーエンドで締め括りたい。そうだ、続きはやはりそれからがいい。

 「丸善作戦」の全貌、リアル倍返しの法廷対決「ポニー渓谷の決闘」と裁判の実態、企業カレンダーのプレゼンテーションの実際も面白いだろう。なにも、全てを語るつもりなどは無いのだが、曖昧という鬼退治の冒険には続きがあるのだ。そして、旅路の行方は未だわからない。父の決断と秘められた夢、妹の献身、母の思い、医療事故裁判、秋山庄太郎氏の関係と、話さなければならない事が未だ少しある。

 それにまた、本物との出合の一場面には、フリーの映画プロデューサー奥山和由氏との話があって、これを語らずに冒険の全容は描けない。或る講演会で氏の苦労話を聞く機会があった私は、彼に私の描く本物像が重なって、それは木原和人にも劣らないものがある。そこで語られた「私は、どうやらこの世界では嫌われるタイプの人間らしい」という言葉に心を動かされたのだ。
 私は直ぐに講演会の感想を書いて送ったのであるが、一番の要件は、その時ちょうど私が書き上げていた一編のシナリオを見てもらうことだった。「彷徨・この空の青さは」がそれである。そのテーマに話の共通性を見出したのだ。
 すると驚くことに、送って間もなく返事があり、事務所に呼ばれ、映画の話など色々と話が弾むこになった。彼は想った以上に気さくで正直な人だった。そして、何よりも、私のそのシナリオを「面白い」と言って、何時か手掛けたいと臆面も無く話すのだった。
 その頃、彼は「天国への100マイルという映画を完成したばかりのところで、その成功をもって映画界に再浮上しようとしていた。

「この後にもう一つ企画が有って、その次にと思ったりするよ。それにしても、これを任せられる監督が居るかだな問題は・・」

 たしかにそれは彼の本音なのだと、その時私は思った。見るからにこれは映像美を求めているシナリオに違いないからだ。これを映像化できる、演技を引き出す映画監督が今の日本の映画界に居るか・・それは私も同感だった。
 そのとき私は・・「心配ないです。僕がそれをやっ見せます」・・という言葉を出そうと思ったが、やはりそれは喉元で止めた。
 今思えば、その時それを口に出していたなら、どうなっていただろう。もしかしたら、大きな展開があったかもしれないが、今となっては判らない。さすがにその日の私はそこまでの自信家ではなかったのだ。それに、私は、その自覚において、写真家としても未だ本物には成れてはいなかった。

 それにしても、何の面識も伝手もない無名の写真家が書いたシナリオを見てくれて、そこまでの話をする彼には、やはり驚きを隠せない。そして、何よりも、少なくともそれによって私のそのシナリオの出来栄えに自信が付いた。
 しかし、氏の思惑は上手く行かず、評価はまずまずながらも興行的には失敗となり、話は自ずと萎むことになる。次の企画は「地雷を踏んだらさようなら」だった。私は完成を待って映画館に駈け付けたのであるが、それは前作と同様に興行的にあまり期待できないものだった。そしてそれはそのとおりの結果となった。売り出し中の浅野忠信の人気と原作の話題性から単館アートシアターの記録的動員を得たが、残念ながら広がりはしなかった。やはり映画は興行が全てなのだと思う。逆もあるが、原作とテーマ、企画が如何に優れていても、やはり出来映えが良くなければヒットはしない。それはシナリオと監督の演出力の責任に違いなかった。奥山氏が報われないのはその為だと私は思った。彼は、ヒット性よりも作りたい映画に拘り続けて失敗を繰り返していたのだ。優れた映画監督に恵まれていれば、彼の人生は全く違うものになっていただろう。彼はやはり恵まれない自信を失くした「本物」だと私は思った。そのとき私が既に自己完成した本物であったら、どんなにか彼の力になれただろうか・・残念で仕方ない。

 その時「七人の侍」のリメイクを要望する私の究極の夢を語れたら、どんなにか面白かったことだろう。まあ、いい笑い話になっただろうが、もしかしたら、監督志望のスピルバーグのように「嘘から出た誠」になったかもしれない。まず有り得ない事ではあるが、そんな想像が出来る雰囲気が、奥山氏には確かにあった。
 「カラー・シネマスコープ」の「七人の侍」・・これは、生きている内に私がどうしてもこの目で観たい唯一の映画に違いない。リメイクする勇気が誰もにも無いのであれば、コンピューターの加工によって実現してもいい。下手な物が出来上がるよりずっと良いだろう。しかし、その場合トリミングすることになり、完成度の高い『絵』の価値が大きく損なわれることになってしまう。やはり、誰かが本気でリメイクするのが一番ではないか。[本気」さえ出せば、或る程度のものは必ず出来る筈だ。新作やリメイクで本作を超える物が永久に出現しないと思い込むのは間違いかも知れないのではないか・・。全てのスタッフがそれぞれの持分でその才能をフルに発揮して、本気の力を出し合えば、或る程度以上の想わぬ傑作が出来上がる事もあるだろう。
 映画は、言わずと知れた総合芸術であり、芸術のあらゆる要素を網羅した、現代文化の集大成であるに違いない。本気を出して本気で取り組むスタッフは居るか、『本物』は映画界にどれだけ居るのか、何処かの世界のように、もしも微温湯に浸かって眠っていたり、自信なく片隅に隠れていたりするのであれば困るのだ。
 本気と本物は、同意語だともいえる。昨今とくに顕著に感じるところの、本気を疎ましく思う風潮は、間違っていると思う。そこに居る本物を隠すだけではなく、それぞれが知らぬ間に己の中に有る本物さえもを眠らせているにちがいないからだ。
 『本気』も、『本物』も、けっして疲れるものではないということを知るべきだろう。

 そういえば、スピルバーグは若い頃から黒澤に心酔していて、常に心の師と仰いでいたというが、その理由が面白い。「すべてのシーンが『絵』になっている」というのだ。黒澤明は画家志望だったし、両者の映画は確かに全て構図が『絵』になっている。彼は海を越えた黒澤明の正真正銘の後継者に違いない。訴求力とリアリズムには遠く及ばないものがあるが、大した師弟関係であることに間違いはない。彼は映画の見せ場作りに長けていて、特にアクションシーンの出来映えには何時も目を見張るものがある。映画は『絵』であり、要所要所に印象的な絵になるシーンを散りばめることが必要なのだ。男優にしろ女優にしろ、絵になるリアルな演技の見せ所というものも手を抜かず心して作るべきだろう。かつて全盛期の山田洋二の演出力は只事ではなく、同じように全盛期の黒沢明のそれに決して引けをとらない。そこには「山田リアリズム」とでも言うべき拘りの演出が確かに有った。黒澤演出の最大の魅力は人間描写における容赦の無いリアリズムであり、それは、喜怒哀楽の表現もさることながらアクションの動作一つ一つさえもがその点すこぶる卓越していて、見る者が目を見張り人間として心底からの感動・共感が呼び起こされる。スピルバーグも言うように、羅生門の殺陣のシーンを見る度に想わず目が覚めるのはその為だ。まさしくあれが黒澤リアリズムの原点に違いない。真実=リアリズムだとしたら、それを絵にする画力を持った監督は世界に他にどれだけ居ようか。そして知るべきは、けっして形だけではない真実を描く絵の真髄というものがそこにはあるということだ。それは、美の意味を映し出そうとするすほどの絵心であり、世界の映画人が等しく彼に屈服する意味がこれである。
 小津安二郎の映画もそういえば『絵』であった。カラーになった時、背景にある赤い置物の位置を何度も変えて絵のバランスを図ったというから、これはもう相当なものだ。全てフィックスなので、こちらの方がよりいっそう『絵』のようだ。
 映画は、やはり絵としての見せ場の完成度が重要なのだと私は思う。そういう意味で、この私のシナリオ作品は、見せ場の連続になっている。それは、私自身が映画館で観たいシーンという事に違いなく、頭の中では、実はもうとっくに飽きることもなく何度もそれは上映されている。母にそんな映画の話をすると、「あんたは一生そういうことを話していなさい」と、何時も一笑に伏されるのであるが。

 私の才能のポテンシャルは、もしかしたら写真よりも映画に向けるべきだったのかも知れないと、時々思うが、「先ずは写真」としたのは、あながち間違いだったとも言い切れない。その道程で得た経験は決して無駄ではなく、もしかしたら、それはその為の年月だったのかも知れないとさえ思う次第だ。
 
 この話にはもう少し続きがあって、その顛末には非常に興味深いものがある。本物vs偽物の構図の話だ。・・しかし、今は話したくない。出来ればこの冒険障がハッピーエンドを迎えたところで、と思うのは我侭だろうか。

 また、私を全面的にバックアップするというFXの達人なる人物も少し前に現れて「ついに私に救世主が・・」という出来事もある。
「先生こそ本物です。直ぐに報われるべきだ。私がFXの腕を振るって応援します。先ずは立派な写真集を出しましょう。五百万ほど有ればいいですか?」
「映画も作りたいですね。何億必要なんでしょう。久し振りにやる気が沸いて来ました。私の人生も変わります」
 その余りにもの話に眉唾で聞いていた私だったが、彼は至って本気のようだった。そう見えるのだ。夢が夢を呼んで膨らむまで膨らんだ。日を追って彼の顔付も良くなってくる。そして「ナチュラル」という会社を立ち上げる準備まで進むのだった。ロバート・レッドフォードの野球映画にちなんで私が付けた社名で、生まれながらの才能を合わせて遅咲きの夢を実現する、という意味だ。彼の話はリアルだったが、しかし所々に上げ底が見え隠れしているのも確かであった。
 そもそもFXには危険性が付き物だ。「贅沢に飽きて一切それを封印していた」という話も信憑性が薄い。一時期たしかに大いに儲けて、その後大失敗をして足を洗った、というのが実際だろうか。私がいくら楽観主義者でも彼の信用性は今一だった。
 そして、その不安が早々に的中したかのように、或る日、彼は突然私の前から消え去った。「何だったのか・・?」その真相は謎のままだが、少しばかりの心当りが私に実はある。何にしても、大船に乗って海原の真ん中で大沈没するより良かったかも知れない。「世の中にはこんな出合があるものだ」という可能性を垣間見ただけで充分だ、という妙な納得をする私であった。それにしても、思い出す度に空しい気分になるのは否めずに、悲しいかな、彼の再来を心の何処かで望んでいる私が居るのも否めない。

 夢を語り合う彼とのメールの通信記録が、数多く残っているが、それがすごく面白いのだ。彼が本物だったのか、それとも大法螺吹きのペテン師だったのか・・その真実は判らないままだ。「○○さんは本物ですか?私は正真正銘の本物ですよ」そんな質問に責任を感じて、逃げ出したくなったのかもしれない。もしそうであれば、彼は本物ではなかったことになる。本物をもう他者には求めないと決めた筈であるのに、まったくなんということだ。
 しかし、「人生が変わっちゃった」と言って、途方も無く拡がる夢を語る彼は見るからに若々しくて、その目は確かに純粋だった。それだけは間違いないと断言できる。

 とりあえずのところ、今は冒険の旅の荷を下ろして訪れた安寧に浸かる日々だが、この冒険障はやはりハッピーエンドにしたいものだから、この続きは、少なくともそれがもう少し近付いたところで話したいと思う。土産話は未だあるし、何よりも、苦労して探し当て持ち帰ったお宝も手元にはある。今のところ宝の持ち腐れの感が否めないのであるが。
  ただし夢の旅路は未だ終わりではなく、これからこそが本番だと思うくらいだ。 その行く先は、おぼろげながら今の私の目には見えていて、それが幻か・・やはり確かめなければならない。しかし、本物捜しの彷徨の旅は、もうするつもりはない。
 また、私自信が本当に本物かどうか・・その答を知るには、やはり、もう少し時間が必要だ。終らない夢の行く先にその答は待っているに違いないからだ。

 来た道は、「道草」のとおりの旅路なのだが、今は「地平線」でもなく、それにまた「しおさいの詩」でもない。「山河」は未だだが、「さらば青春」ということだ。
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